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MEETING #05 横川正紀さんと〝会社〟の話[録画データと、あとがき]

DEAN & DELUCA(わかりやすいので、つい最初に書いてしまう)をはじめToday's SpecialやCIBONEなど、暮らしまわりのお店を複数擁する「ウェルカムグループ」の代表・横川正紀さんと話した。録画を公開します。

飲食部門の割合が大きい会社なので「いまどんな感じだろう?」と気になっていたのだけど、「こんなコロナの中でも、こんなに安心して自信をもってやれている」と、この一年のスタッフの変化を心強く感じている言葉が聞けてよかった。

1年前に一緒につくったインタビュー・ブック(社内用の非売品)や、その中で交わした「船団」という言葉のことに何度も触れてくれたが、同時期に入れ替えが進んだ会社全体のコミュニケーション・ツールの影響も大きかったろうなと思う。

この日はインタビューの前に、6月にオープンした「虎ノ門横丁」のツアーもしていただいた。
>「虎ノ門横丁」ウォークスルー・ガイド編[49分]

先のインタビュー編の53分あたりで「商業開発を手がける日本全国の人たちに、いいモデルとして伝えたい」と「虎ノ門横丁」のオープン過程(コロナ禍を背景にしたソフトオープン)の良さを語っている。その手の仕事をしている人は、併せてご覧ください。

初めての自撮り棒、けっこう楽しそう。(写真:山下光さん/WELCOME)

以下、あとがき的な余談です。

僕は約一年前に、横川さんと本格的に話を交わす機会があって(関心のある方はPeatixの告知ページをどうぞ)、以来、街角のDEAN & DELUCAがそれまでと違って見えるようになり「話聞けてよかったー」とひとりホクホクしていたのだが、同時に彼の〝会社観〟への興味が膨らみ「会社ってなんだろう?」という話をいつか聞いてみたいなと思っていて、今回はそんな機会にもなった。

人々が「仕事」について話しているのを聞きながら「噛み合っていない...」と思うことがある。最初に強く感じたのは東日本大震災後の三陸沿岸部で、復興に際し「地域に仕事が必要だ」という言葉に出会ったとき。

なぜ必要なのか? 「生活費が要るから」が真っ先に返ってくるわけだけど、仕事は、他にも無数の意味合いを持つ多義的なメディアだ。これは神山町の創生戦略資料(2015)に書いた「しごとづくり」パートの抜き書き。

三陸沿岸部の話に戻ると、たとえば復興に際し、港湾機能をより集約化して競争力のある地域の仕事を創り出そう、と言われるときの漁業はいわば「産業」としてのそれ。一方、同じ地域の小さな港から一人で船を出して、狙いの磯場で魚を獲って地元の寿司屋に卸している漁師の仕事は、同じ漁業でも「暮らしや営み」としてのそれであって、性質も位相も大きく異なる。

同じ「仕事」という言葉を使っていても、違う話をしていることがままあり、ミートしない。それで少し「仕事」を整理してみた(2011年当時。スライドなっているのは最近神山町のミーティングで話す機会があったから)。

まず、「はたらき」と呼ばれるものがあると思う。これは本人が有している基本的な「力」で、身体で言えば手を使えたり、目で見分けることが出来たり(多くの人間の特徴)。
あるいは「あの子がいると雰囲気がよくなる」とか「彼と話すとなんか曖昧になる」とか、本人自身もあまり能力として意識していない、けど明らかに作用する力を指す。
「はたらき」の話、言葉足らずでした。補足します。末尾参照。(8/15)

そこになんらかの技術が合わさって、他人が対価を払うようになった仕事が「生業」で、持ち前の「はたらき」との連続性が高いと長つづきする。つづけられるということは、より洗練されて価値を増してゆく可能性が高いということでもある。

でもここまでは、個人ないし家族が営む仕事の話だ。

その先に「事業」があって、ここからは個人性より仕組みやシステムの方が優位になる。一個人の頑張りで稼ぐ世界から、「事業」という仕組みをつくって、みんなで回してゆく世界になる。
こうした事業が自然特性などを背景に近場で集積すると、地域の「産業」になる。産業には自然発生的に形成されるものもあれば、行政や政財界が意図的に形づくるものもある。

「仕事」という言葉にはざっくり分けてこの4つくらいの相があるよな...と僕は思っていて、たとえば「地域に仕事が必要」とか「これからの仕事づくり」という言葉を聞くと、「どの仕事の話かな?」と思う。
雑な表現だが、経産省が語る「仕事」は事業や産業の話で、レイモンド・マンゴーの『就職しないで生きるには』を片手に語られる「仕事」は生業や本人のはたらきを指すことが多い。

左から右に並べたけど、成長過程を描いているつもりはない。右へ向かわないといけないということはないと思う。でも「生業」と「事業」の間には段差というか境目があって、左右で大きく様相が変わる。

左半分は基本的に属人的な世界で、〝本人〟に仕事が強く依拠している。その人がいなくなれば同時にその仕事もなくなる。職種として世界から消えるという意味ではなくて、その周囲の世界からは失われるという意味。

右半分は逆に属システム的な世界で、〝仕組み〟に仕事が依拠している。つまり人の入れ替えも原則可能で、「あの人が辞めるとダメージが大きいな」と言いつつ、辞めたからといって会社は潰れないし、仕事も意外に回る。それが会社であり事業だから。

この話をすると「生業にも事業性は要るし、〝個人事業主〟という言葉もあるじゃない?」と訊いてくる人がいる。でもね、自分や家族で稼いでゆく仕事と、赤の他人を雇って、その人たちの暮らしを支え成長も喜ぶような仕事では、求められるものがだいぶ違う。生態環境で言えば海と陸地くらいの違いがあると思うよ、と話す。

しかしその二つの間に、川でいえば河口あたりの、汽水域のような領域がある。「家業」と呼ばれる仕事の世界だ。

たとえば「◯代つづく老舗」のような事業体は、属人性が高く、かつ属システム性も高く、二つの間に存在する。そしてときには「創業者の店」と言う表情を見せ、ときには「いち企業として」とビジネスライクに立ち振る舞う。

いま「家業はときに属人性が高く」と書いたが、昔の商家の後継は、血縁にこだわらず、優秀な人材を丁稚・手代・番頭と育てながら見出したと聞くので、家業は家業でいろいろですよね。

で、延々となにを書いてきたかと言うと、社会的存在としては会社であり「事業」だけど、ひとを軸にして属人性豊かに、メンバーの存在を最大化する経営を指向する〝家業的〟な会社が、昔ながらの家業とは別に増えてきているな...としばらく前から楽しく感じていて、その一つが自分にとっては横川正紀さんたちの「ウェルカム」なんです。それを書きたかった。長々とすみません。


*「はたらき」の補足:
生業と事業の違いに話を急いで「はたらき」のことが半端になった。この文章では主に「個人が持ち合わせている性質」を指していて、その話をもっと読みたい人がいたら、ル=グウィンの『ギフト 西のはての年代記』をお薦めします。

補足しておかないとな...と思ったのは、無償労働に分類される「家事」や「子育て」、見合い話を持ってくるおばさんの「おせっかい」の類、地域の一斉清掃や消防団、福祉ボランティアといった「コミュニティをよい状態にする活動」も、この4分類では「はたらき」におさめやすい。

「あの人は本当によく〝はたらく〟」とか「〝はたらき〟がいい」とか「〝はたらき〟が足りない」とか言われるわけだけど、無償労働の中には「やって当たり前」「普通するでしょ」という目線で扱われるものも多く、同質性を前提に「みんなやってんだから」というような言葉で語られるとき、もう〝ひと中心〟ではないし〝あなたじゃなくてもいい〟と言っているに等しいわけで、その類の話をこの「はたらき」に含めるときは注意が要るんだよな、と思っています。


*次の「MEETING」は、コロナ前から今年の開催は10月に決めていた(昨年までは8月末開催)「GOOD NEIGHBORS JAMBOREE」、それを手がける「BAGN Inc.」や「一般社団法人リバーバンク」の代表であり、バンド「Double Famous」のペット奏者でもある、坂口修一郎さんと話します。8/22(土)午前。どうぞ。