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2022年11月のふりかえり|「つくる」が足りていない気がする

上旬まで出張がつづいたが、中頃からは東京でゆっくり。その割に忙しかったのは、夜の多くを「ゲーム・オブ・スローンズ」に割いてしまったから。

11月◯日

岩手県洋野町の大原圭太郎さんが、彼らの展覧会のトークパートに呼んでくれたので北上。

盛岡は市内を流れる川の岸辺が好きで、歩いて会場に向かうと「鮭が遡上する清流・北上川を守ります」と記した岩手県のパネルが川縁にあった。昭和40年代は上流の鉱山の影響で川が赤く濁っていたこと。その後につくられた中和処理施設がいまも24時間稼働していて、この清らかさがあることを知る。

大原さんは6年前、パートナーの故郷である洋野町に移り住み、地域おこし協力隊を経て「一般社団法人fumoto」を設立。この展示もその活動の一環だ。

町から委託されているのは関係人口の創出だと聞いたけど、展示の見た目は地域プロモーションというより「郷土資料館」で、その地味なアプローチに共感する。渋いなあ。

「地域で暮らしてきた人の話を聞くと、『なんとかしよう』と頑張ったのはいまが初めてではもちろんなくて、時代の節目節目に、周囲に声をかけてなにかに懸命に取り組んだ人たちがいる。それを知るところから始めたいと思って」と聞かせてくれた。

地域の先達のインタビューは「ひろのの栞」という冊子にまとめ、ウェブにも載せている。

ひろのの栞|本を読むように、洋野の暮らしと人をもっと知る
https://hirono-shiori.jp/

北上川の話も同じだな。だいたいにおいて国策のツケを私たちが払わされる。その渦中でなんとか頑張った人たちがいて、ようやくいまがある。
国策にはむろん良策もある。ただ良策は、平和が当たり前のようにつづくわけだから、最善なのにあまり意識されない。その辺が行政の仕事の難しさであり面白さだよな。

大原さんとの語らいを終え、新幹線を乗り継いで山口の宇部市へ向かった。(fumotoの展示「風土」は2023年1月に東京でも開催される模様)

11月◯日

宇部市のアートコミュニケーター養成プログラムで基礎講座の一つを担当。コロナを背景に、最初の2年間はオンラインで行ったが、今年3年目で対面実施に。初めて担当者さんの横顔も拝見。

美術館、なかでも地方のそれは、地域の政治や権力の誇示に使われてきた性質が強いんじゃないか。そしてそのまま時代に取り残されている気がする。図書館と違って入館料が要る点も、美術館を市民の文化拠点にしにくくしていると思う。

個人的に東京都美術館の「とびらプロジェクト」には、そうした状況に小さな風穴をあける期待もある。が、収蔵作品の大半を現美に移した都美と違い、地域の先生方の作品を保管しつづける地方の美術館は、片足が重くて大変かも。どうだろう。

宇部のプログラムは美術館ベースでなく、まち全体を使おうとしている。特定の拠点を持たないスタイルの背景には、1961年に始まった日本初の野外彫刻展の歴史がある様子。

この日の会場は、宇部興産の創業者・渡辺裕策が、1924年に買い上げて寄贈した7千坪の土地をもとにした「ときわ公園」の一角にあった。公園では最初の彫刻展以来、無数の作品拡充がつづいている。こんな美術シーンもあるのね。日曜で家族連れも多く、初めて見る情景がひろがっていた。

私自身はアート作品の多いまちというより、心が柔らかくてよく動く人の多いまちを魅力的だと思う。宇部の野外彫刻の年月が、そこで育つ人々にどんな影響を与えてきたか。来年また訪れるときに探ってみよう。

11月◯日

以前一緒に働いた仲間たちの合宿にファシリテーターとして参画。久しぶりに会えて嬉しかった。一人ひとりの気持ちが染み込んでくる。借りた「Workation Hub 紺屋町」の2階もよかった。またなにかしてみたい。

ミーティングを終えて彼らと別れると、伊那の若い建築家の友人から、少し前に相談をもらった設計コンペで優勝した!というメールが入った(私はなにもしていない)。他人事ながら嬉しい。自分たちの身体をつくるような仕事に、またとない数年間になるだろう。

夜は「淡路はたらく研究島」(2011〜15年頃)の中心メンバーと当時も使った旅館に集まって、宿のお母さんが釣った魚をお父さんの調理でいただく。10年前と変わらず美味しい。

研究島の連中は、めいめいの仕事がよく育っていたり、広がっていたり、さらにその先で離婚したばかりの人もいて、彼らの冒険譚をアリーナ席で聞かせてもらった気分。
互いの話に夢中で「西村さんは?」と質問を差し向けられなかったので助かる。自分の話は苦手。端折って語るのがとくに不得意で、かといって省略しすぎると後味が悪い。「みんなそれほど本気で他人に興味ない」ってわかっていればいいんでしょうけど。

11月◯日

淡路の別のところに場所を移して、20年来の友人・青木将幸さんの主催で「インタビューのワークショップ」を3泊4日。

その中で彼に一年半越しで伝えたかったことを、楽しい形で伝えることができて幸せ。言葉も気持ちもキャッチボールのようなもので、投げる側だけでなく、受け取ってくれる人がいて成立する。

皆既月食の夜

充実した4日間になった。徳島にある美味しくて温かいお好み焼き屋さん(mo_mo_fuku)に寄り、空港まで送ってもらって東京に戻る。

11月◯日

6月に交わした日比野克彦さんの学長就任インタビューを載せた、藝大の学内誌「藝える」が発行される。
https://www.geidai.ac.jp/wp-content/uploads/ueru/ueru_no11.pdf

11月◯日

サウンドバムのメンバー・岡田晴夫さんの紹介で、小田原に新しくできた書店「南十字」の鈴木さんと、サウンドバムのCD「Travelling with Sounds」の取扱いについてメールを交わす。

鈴木さんは書店のオープンと同時に「風鯨社」という出版社を立ち上げ、その一冊目として今年7月、故・駒沢敏器さんの『ボイジャーに伝えて』を出版した。駒沢さんは私にとっても大切な書き手で、「翼の王国」の探訪記事の数々や、セントギガのPR媒体のテキストも手掛けていた先輩格だ。

鈴木さんいわく「フィールドレコーディングの本が人気なので一緒に紹介したい」とのこと。発売中の『ビックイシュー』でもフィールドレコーディング特集が組まれた。流行ってる?(驚き)

11月◯日

そう思う。けど、なんで急に呟いたのかわからない。

11月◯日

ルヴァンの甲田さんが逆立ちしている夢を見て目覚める。神山から持ち帰ってそのままにしていた自転車のメンテナンスで、荻窪の某自転車屋さんまで妻と1時間少々歩く。

その途中、ある家の屋根の上の無線アンテナがゆっくり回転しているのを見た。あの下で「こちらはJA×××、JA×××。交信お願いします」とかやっているのかな。

アマチュア無線は、コールサインを持つ一人ひとりが「局」で、離れた局同士が直接つながる。地方の中山間地でアマチュア無線のアンテナを立てた農家さんを見かけると胸がキュンとなる。その場所を離れずに生きている人が、遠くの誰かにつながろうとしている。同じ理由で伝書鳩のゲージを見かけてもキュンキュンくる。

11月◯日

夏頃からかかわっている大きな会社の働き方の仕事で、彼らの東京オフィスへ。夏頃はまだ道筋が見えなかったが、今月は見えてきて気持ちが平和。どうなるかはまだわからない。新しい制度をつくったり、魅力的なオフィスができても、それは譜面や楽器ができただけの話で、まだ「音楽」になっていない。
本人たちがよく知っていて、そらで歌えて、愛着や誇らしさも感じられる「音楽」のようななにか。組織の文化をつくってゆくことが「働き方の改革」だと思う。終わりのないうた。それを歌いつづけやすい環境を、あの手この手で講じてゆくしかないと思う。

外部メンバーとしてかかわると、中にいる人だけでは扱いの難しい物事があるのを感じる。本人が自分の身体を自分で持ち上げることは出来ないような感じ。

一方で本人にしかできないこともたっぷりあるし、なによりクライアントワークの難しさは、「その人のことについて、その人以上に一所懸命になってしまいかねない危うさ」にあると思う。これはケアや、コンサルティングや、支援の仕事で生じやすい。向き不向きがあると思う。自分はどちらかというと向いていないかも。

11月◯日

12月冒頭に世田谷区/生活工房で開催する「どう?就活」という2日間のイベントに出店してくださる三軒茶屋の本屋さん「twililight(トワイワイライト)」を訪ね、オーナーの熊谷さんと挨拶した。

夜、昨年のゲストの一人・団遊さん(アソブロック前代表)と一年後のアフタートークをオンラインで。話していて楽しい人と、もっと話していたい。でもすべてに始まりと終わりがあるわけで、1時間半で終了。

この夜に彼が語っていた、「僕は『やりたいことはなに?』って毎日自分に訊いているところがある」という言葉が残る。
「やりたいこと」「できること」「やるべきこと」の三つで言えば、近年の神山で自分は「できること」と「やるべきこと」に偏っていた。そんな日々をくり返していると、夜布団に入るときぐったり疲れているし、眠りにつく自分にあまり満足感や充実感がない。

眠れないわけじゃない。頻繁にプールで泳ぐなどして身体を動かしているとどうなるかな?と考えたが、睡眠の質はよくなった感じがするものの、今日一日を終えたことの充足感はまだ少しもの足りない。「つくる」が足りていない気がする。

11月◯日

坂倉杏介さんが港区と重ねてきた「ご近所イノベーター養成講座」の10周年プログラムに、ゲストスピーカーとして参加。スタッフも集まった人たちも寛いでいて、いいコミュニティが育っているのを感じる。

この講座には福岡/津屋崎の山口覚さんもかかわってきた。冒頭の短い話の中で彼は「〝関係人口〟より、地域の中にどれくらい知り合いがいるか。〝知り合い人口〟の多いまちが豊かでは?」という視点を投げかけていて鮮やかだった。

私は〝対話〟という言葉について思うところを語らせてもらった。「対話は会話じゃない」とか「日本語が違う問題」とか。〝対話〟を大切なものだと思っているので、その言葉を安く使いたくない。

11月◯日

25年前に手掛けたセンソリウムの「While you were」の話をDiaryに書いた。このプロジェクトのすべてが好きだ。タイトルもいい。
https://livingworld.net/nish/dialy/20978/


来年2月に遠野で開催するワークショップの、参加申込み受付を始めた。
https://note.com/lw_nish/n/ndf4d350a5e4d

先日ふと「死ぬときに聴いていたい音楽はあるかな?」と考え、即座に「ない」と思った。なんでもない、まわりの音をきいていたい。

約20年前、サウンドデザイナーの川崎義博さんと、世界数カ所のサンセットとサンライズの音を録ってまわった。その旅から帰って一年ほど、まったく音楽を聴く気になれなくて、もっぱら窓をあけていた時期がある。

パイオニアにいた岡田晴夫さんともその頃に出会って「サウンドバム・プロジェクト」が始まる。彼と一緒に世界のあちこちへ行った。

リスボンの地下鉄で

彼は先月下旬、旅先で音を録っている最中に転倒したようで、脳出血に至った。入院して、一時復調したものの、12/10に急変してお亡くなりになった。大好きな人は何人もいるし、相手もそうかもしれないが、たいていどちらか一方が見送る側になる。