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リスクを排除するだけでは、先に進めない話

海士町の阿部くんの声掛けで、3月の終わりから始まった少人数のZOOMミーティングがある。感染拡大の中それぞれの取り組みは? 状況は? という情報交換の場で、隔週ペースで集まっている。
昨夜その第3回があり、矢田明子さんの話がよかった。よかったというか照度が高く、自分の中がよく照らされて明るくなった(見やすくなった)ので、忘れないうちに書いておこうと思う。

矢田さんは雲南市を拠点に活動するコミュニティナースだ。「コミュニティナース」(医療施設から地域へ出て活動する、フリースタイルな看護職が必要)という社会提案をした人で、各地の人材育成に取り組んでいる。

雲南では2月中頃から「地域にコロナを入れない」という共通意識をもち、出来る限りの水際対策をとってきた。医療従事者の県外出張をなくし、市役所の一部でもテレワークの試みが始まり。
彼女自身も1月中頃から警戒態勢に入り、コミュニティナースの導入支援でかかわる各地との仕事は全面的にオンラインに。雲南から出ず、住民さんたちを訪ねて回りながら「不安のお炊き上げ」をしていると3月末に話していた。

コミュニティナースとしては、この状況下における在宅の患者さんや住民さんたちのニーズを把握したい。それは実際に会いに行って、本人の顔を見たり声を聞いたり、様子に触れてゆかないとわからない。
でも訪問先の住民や高齢者さん側に、「ひとに会っちゃいけない」「感染が怖い(周囲の目が怖い)」というこわばりがある。

そこで離れた距離でハッキリ声が届くように、スポーツ指導でコーチが使うようなウェストベルト式のスピーカーをつけて。(こういうのですね)

遠くからモノを渡せるように、炉端焼きのしゃもじ(柄の長いやつ)を買い。いまはオープンエアー型のランドカーを使いたくて、某メーカーと交渉を始めている。(こういうのですね)

「会いたい」「けど会えない…」と住民さんが思っていた人(たとえばコミュニティナース)が「こんな方法で来た!」と、笑ってしまうような訪問スタイルの開発を試みていて、それを「不安のお炊き上げ」と表現していたわけだ。

昨夜はそれからちょうど1ヶ月。水際対策の時期は過ぎて、住民さんたちの意識もいまは「with コロナ」段階に入ってきていると言う。〝不安、警戒、差別〟といった魔女狩り的な意識を持ちやすいのは「水際対策」時期の話で、その頃から「もし自分自身がかかったらどうする?」とエネルギーの矛先を変える問いを投げるようにしていた。が、隣接する出雲市での感染発生も経て、みんな「自分が感染しても(していても)おかしくない」という認識に移ってきている。
その中で、ひきつづきニーズを把握しながら、出来ることを形にして応えてゆきたいと言う。

実際に訪れて状況に触れてゆくと、ニーズは一人ひとり違ってバリエーションがある。健康のこと、医療受診のこと、家を感染に備えた状態にどう出来るか、あるいは友人を気遣いたい…とか。最近はウィルスというより「詐欺」への警戒が強くなっている。孫のフリ、役場のフリの電話がかかってくるみたい、と言う。

「しゃもじは使っているの?」と聞くと、使っていて、でも載せたものを落としてしまった事故もあり(笑)、面にゴムを貼った。ランドカーは人気で(「入手したんだな…」と思いながら聞く)小学校の学区で4つ分くらい、かなり広範囲を移動している。運転席にはアイドル感のある男性スタッフに座ってもらうなど、「演出には気を使っている」と言う。

たとえばお友達と「電話でなく顔を見て話したい」とか、あるいはオンライン診療のニーズもあってタブレットを使えるといい。けど、そういうのに照れや心理的バリアーがあるときは、まず〝お孫さんの入学式の写真交換〟とかそういうのでご友人らとつなぎ、ほこほこしたそのテンションのまま、画面の向こうのお医者さんにつないでみたり。
本人のトキメキのボタンを探し、必要な対策につながるスイッチを入れる、ということを、あの手この手で重ねていると言う。

いまはちょうど「コロナ川柳」が流行っていて、2日で600人が参加。〈自宅勤務、家族の前で、照れワーク〉とか〈アベマスク、手元に来ない、島根県〉とか〈コロナより、君が来ないか、わが家の後妻〉とか(詠まれたらしい)。イグノーベル賞も視野に入れて、みんな詠みまくっていると言う(それだけ心が動いているわけですよね)。

これは看護師の間で共有されている資料。ジェルやマスクは当然だけど、でもただそれを額面通りやってゆくと、「病棟ですることを自分の家でしている」ような状態になってしまうのが自分は気がかり。その中で、ひとが萎縮してしまうことが。

正しい衛生情報を伝えつつ、そこで本人たちが創意工夫できるようにしたい。初期の水際対策期から〝with コロナ〟の段階に変わりつつあるので、「これがしばらくつづくとしたら、暮らしぶりをどう変えてゆきたい?」「どうすればそれを〝ポジティブに〟変えてゆける?」という方向でずっと動きつづけている感じ。
自分たちがそんなふうにポジティブにかかわっていると住民さんも柔らかくなるので、医師たちもそれは助かっている様子だ。と聞かせてくれた。

話を聞きながら、矢田さんは「みんなのエネルギーの解放」を試みていると思った。他人に対する攻撃や同調圧力でなく、彼女の言葉でいえば「自分の暮らしを創意工夫できる」方向に。

農家のおじさんが帰宅時そのまま家に入らず、「屋内モード」に切り替えてから入れるように納屋を工夫したり、玄関前にもう一室小さなスペース(滅菌室みたいなもの?)をつくり始めていて!とか聞きながら、「それは農山村ならではだな」と思う。同調圧力については農山漁村も都会に負けないものがあると思うが、日常的な暮らしの創意工夫については、都会の人々より圧倒的にスキルが高い。その必要性と機会と空間が、日常的に豊富なので。
このあたりの話は石川初が照らした「FAB-G」の話にもつながる。

矢田さんは最後に「リスクを排除しただけでは、先に進めない」と話していた。その言葉は彼女の人間理解であり、大袈裟に言えば人生哲学のようにも聞こえて、僕は視界がクリアになった。ありがとうございます。