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2022年4月のふりかえり|必要なだけ、たっぷり浸る方がいいんじゃないか

illustration: Tariho Nishimura

4月◯日
山腹のココ歯科で、ひとまず最後の診療。東京に戻ったら私はどこに行けばいいの。ココ先生が、同じ師匠から学んだ歯医者さんを誰か紹介してくれることになった。歯科治療は口内でつづく小さな土木工事だ。価値観の合うプロに出会いたい。

昨年夏に神山を離れると決めてから、仕事と気持ちの整理をしてきた。山田貴宏・田瀬理夫さんとの滞在プログラムも先月に無事終わって、だいぶ気が済んだ。本当によかった。あとは引越とそれに先立つ片付け。妻は、庭先で育ててきた植物の引越と、友だちの庭先への植え替えがひと仕事。
送別会は苦手なのでお断りした。出来れば一人ひとりに会いたい。残った時間の中で、何人と話せるかな。

 
4月◯日

Disney+でビートルズの「GET BACK」(全7時間以上)を見ている。1ヶ月以上経ってもまだ見終わらない。ディズニーはすごいコンテンツを投入しましたね。(解約遅延効果、高い)

この映像を見ているとアルバム「Let it be」の聞こえ方が変わる。私たちは完成形を知っているわけだけど、そこに至る曲の顕現過程がつぶさに見えて面白い。メンバーが彼ら自身もまだ知らないその完成形に、どんどん近づいてゆく。

 
4月◯日

私がまちを離れると知った地元の人が「(来春開校する)高専のことが理由?」と訊いてきたので、そうではないと、またひととおり説明する。勘違いしている人がたまにいる。

神山に区切りをつけて住まいも東京に戻す理由は、10月に書いたとおりだ。
https://livingworld.net/nish/dialy/19292/
背景は複合的で、ここに書いていない理由を一つ加えると、借りてきた古民家の持ち主の息子さんからあった「自分が使いたい」「事業を始めてみたい」という話も大きい。最初に聞いたのは1年以上前だ。

「〝田舎あるある〟ですよね。耕作放棄地を貸して、いい状態になると『使うから返して』と言われるケース」と受け取る人がいるのだけど、それともすこし違う。

7年ほど前の帰郷者には、60代半ばのリタイアメント、つまり都市の会社勤めを終えて余生は農作業などしながら…という人が多かった印象がある。一方この数年間は、20〜40代で還ってきて、家業を継ぐわけでもなく新しい仕事を始める若手出身者がポツポツあらわれていた。
この「若手出身者の帰郷&仕事づくり」は今後さらに増えると思う。移住増は貸してもらえる物件の数で頭打ちになるが、出身者なら住まいを探すツテも多いし、実家に拠点を置く選択肢もある。

神山の場合、自治体がそういう誘導施策を講じてきたわけでもなく、実態が先行しているところが健やかでいい。その一例にもなるんだろう。いそいで明け渡すのは難しくても、気持ちよく家を返したいと考えてきた。

 
4月◯日

スタッドレスの履き替えで町内の自動車整備工場へ。お世話になった店主に離町の旨を伝えたところ、一息飲んで「神山が合わなかった?」と訊かれる。そんなことない。ずっといようと思っていたんですよ…と、またひととおり伝えた。最近はどうしてもこういう話になる。

車を走らせて、阿南市のフリースクール「トエック」へ。伊勢達郎・ぷー・ふなの三人とオンラインの収録を楽しんだのち、「俺はまた要らんことを口走って…」とすっかり気を落としながら山に戻った。
軽井沢で見ていた友人は楽しめたようで、頼んでもいないテープ起こし原稿が2日後に届いた。こわごわ読み返すと、確かに面白い。ありがとうございます。もし自分が一人っきりで生きていたら、偏った自分の目線で、ほかでもない自分を痛めつけて終わってしまいそう。能力の高い友だちがいてよかった。

「とえっくラジオ」4/12編
>テキスト(全4話)
https://note.com/lw_nish/n/nd1dfd6d16913
>YouTube
https://youtu.be/41kX7kyerlc


4月◯日
片付けの合間に、神山の親しい人と少しづつ会っている。昼食を食べながら、あるいは夕方のお茶を飲んだり。彼らがいま感じている不安も、喜びも聞かせてくれた。
転校体験のない子どもだったからか、引っ越す程度のことで涙を浮かべる人がいるのに驚く。自分なんかに…と本当に思う。でも、出て行く側より見送る側の方が寂しいのは常だよね。

 
4月◯日

今月と来月、二度にわけた引越の最初の日が来た。徳島市内でバンを借り、まず自分の荷物を積んで東京まで走る。出発が夕方近くになったので夜通し走ることに。何カ所かのPAやSAで座ったまま少しづつ眠る。「お互い60歳、50歳を間近にしてなにやってんだろうね」と妻は笑っていたけど、本当にキツかったし、もう二度としたくない。高速道路を物流のトラックが占めている時間帯で、日本社会の血管の中を移動した気分。

すっかり朝があけた頃、世田谷で高速を降りた。東京の印象は「自転車が多い!」。家で荷下ろしを済ませたところに、徳島から建築家の友人が到着。20年間使ってきたマップケースを同じバンに積んで徳島へ。これからは彼が使ってくれる。嬉しい。
翌朝3時過ぎ「到着」とメッセージが入り安堵。13時間かかったか。けど、これで私の引越は無事終了した。東京の家の片付けを進め、5月中旬に今度は妻と猫とそのほか残りすべての引越を済ませる。無事歩むぞ。

 
4月◯日

軽井沢から来た本城愼之介さんと、代々木公園で話を交わす。「どう?就活」の下山プログラムの一環。久しぶりの代々木公園には、大勢でヨガをしているグループ、三脚を立てて自撮り収録中のコスプレ女子ペア、障がい者ランナーとその伴走者たち、ただくつろいでいる親子、いろんな人が各自の週末を過ごしていて面白かった。「これは都会の公園のよさだよね」と本城さん。私もそう思うな。

この日の話は別途日記あり。
https://livingworld.net/nish/dialy/20164/

「どう?就活」は12月にひらいた二日間のトークプログラムだ。イベントは予定すると割とあっという間に当日になり、当たり前だけど終わってしまう。本番がどんなによくても少し呆気ない。投じた熱量や気持ちに釣り合わないというか。

私たちは、気に入ったレコードや曲はくり返し何度も聴く。それが本になると二度三度と読み返すものは珍しいし、映画はなおさらだ。でも必要なだけたっぷり浸る方がいいんじゃないかと最近よく思う。好きな場所を何度も訪れるように、イベントを十分に味わう形を探しているのだと思う。

 
4月◯日

映画「C'MON C'MON」を見た。主人公のジェシーという子の言葉が気持ちいい。「未来は考えもしないようなことが起こる。だから先へ進むしかない」。

とはいえ周囲の好評価ほど感じるものがなかった。大人と子どもの関係を、大人側の視点で撮った映画だから? 自分の気持ちは子ども(ジェシー)側にいて、大人の側にいない。この未成熟さによって響かなかったのでは?という疑いがある。もう一度見てみよう。

 
4月◯日

『自分をいかして生きる』の一部を小6・夏期集中特訓の教材に使いたいという掲載許諾の依頼が、SAPIXから届く。著作物についてこれまでもいろんな模試や入試の主催者から連絡があったが、SAPIXは初めてで、少し驚いた。

どこかで一度使われると拡大再生産されやすい構造があるんだろう。それでも最初に設問を考えた出題者がいたはずで、いつか会ってみたい。礼も伝えたい。ちょっとした小遣いになっているし、若い人たちに目にしてもらえるのは単純に嬉しい。

 
4月◯日

上旬の神山につづいて、いまは東京の家の片付けをコツコツやっている。ここには、約10年前で時間が止まっていたようなところがある。東日本大震災のあと私たちは東京で暮らしつづけるのが難しくなって、まず短期間屋久島の友人の別荘を借り、高知の知人を訪ね、1年半ほど福岡にマンションを借り、7年少し前に神山へ引っ越した。
そしていま再び東京に戻りつつある。震災後の約10年間が一巡した感覚が強い。

本棚の整理をしていると、BRUTUSの保存版「日本の宿」(2010)が出てきた。私は雑誌をもっぱら後ろから読む。前から読むと「こんな気分になれー」という編集者の思惑がちょっと邪魔で、内容がフラットに入ってこないから。またムック本の後ろの方には、どうでもいい情報が載っているわけでなく、編集者が「これでしめよう」とか「キャッチーではないけどいいよね」と感じたもの、雑誌なら常連の連載陣などが並んでいるので、ガツンとやられることもなく、穏やかにその世界へ入ってゆける。城門でなく、簡素な裏門からまちに入ってゆく感じ。

昔買っていた雑誌や、取っておいた切り抜きを眺めると、この間の差分がわかるというか、時間に洗われた素地が見える感もあって面白い。たとえば「日本の宿」をめくりながら、高級ホテルの素敵な写真に惹かれる気持ちが一切なくなっていることに気づく。10年前はあったわけじゃないが、クオリティの高い仕事や経験への関心はあった。でもいまはむしろ泊まりたくない。

あらためて成金の多い時代になったからだな。同じく10年前の新聞の切り抜きがあった。自民党の野中幹事長をめぐる鼎談(2020年1月21日・毎日新聞)で、「あなたにとっての保守とは?」と問われた野中さんは「保守が守るべきものは、平和であり、国民を中産階級化することでしょう」と答え、「教科書に不都合な過去は書くなという人を保守と呼びたくはない」とつづけている。
被差別部落出身の彼が語る言葉には、弱者や底辺の方から社会を見る意識が感じられる。が、この「中産階級」という言葉の実態が、10年前と比べてもずいぶん様相を変えていることをしばらく考えた。

 
4月◯日

「とびらプロジェクト」の打合せで東京都美術館へ。GW明けの基礎講座〝きく力〟の準備。今年のメンバーには、聴覚障害の方が3名いるらしい。

 
4月◯日

映画「スパークス・ブラザーズ」を見て、ちょっと泣いた。

 
4月◯日

映画「香川1区」を見た。小川淳也氏の娘さんにつられてまたちょっと泣きそうになったが、それ以上に、元デジタル改革担当大臣の周りにいた男たちの粗暴さを腹立たしく思う。ああいう連中のしょうもなさが「まったく男って…」と男性を代表してしまうのは本当にいい迷惑だ。オラオラしたい人は、オラオラの国に行って、好きなだけオラオラし合ってもらえないかな。私は穏やかに暮らしたいんだよ。

政治環境はずっと劣化して来ているし、まだ劣化してゆくだろう。戦後の日本の成り立ちや、世襲議員の多さを鑑みると、こうならざるを得ないよなと思う。「とえっくラジオ」で伊勢さんが聞かせてくれた「市民が学ぶことが民主主義の肝」という話はその通りだし、自分の周辺では実現出来ると思うものの、熟議を尽くした合意形成が社会全体で可能とは到底思えない。ロジャースの「鋼鉄のシャッター」は、限定的な挑戦ではあったわけだけど。

私は成長論者ではないが、価値観や感覚の異なる人間同士の衝突を避けるには、社会が安定していて、どの領域や所得層にもある程度の満足度があり、つまり少しづつ経済成長して中産階級化が進んでいる状況をつくるのがいいはず。それが金利の別の姿であったとしても。でもそんなふうにして凌げる段階は、もう30〜40年前に終わっているように思う。

抜本的によくなることが想像出来ない。それでも「戦争」というリセットの仕方を選んでは絶対にいけないし、それ以前の段階においても少しでも状況をマシに、マシにしてゆくしかない。上映後のトークで畠山理仁さんも語っていたとおり、選挙で自分の一票を活かす人が増えるのが出発点だろう。それについて自分はなにをするか。

 
4月◯日

家で映画「ウインド・リバー」を見る。子どもを持つ親の気持ちを想像する。それ以上の大きな仕事はないんじゃないかな。娘を失った登場人物の「もうこれ以上戦えない」という呟きが胸に残った。

 
まもなくもう一度神山に行く。