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2022年9月のふりかえり|一緒に経験してしまう方が早い

先月はたくさん映画をみた。でも、まず8月末から。

8月◯日

パンを買いにルヴァンへ。お茶も飲んでいこうと隣のルシャレに向かうと、スーッと扉が開いて「自動ドアー」と笑う甲田さんが立っていた。
こんな他愛のない幸せが日常の糧だよな。人はパンのみに…。楽しむとか、優しくするのがまず必要なことで、あとはぜんぶついてくるんじゃないか。

9月◯日

ピーター・バラカンさんの音楽映画祭で、角川シネマ有楽町に通い詰める。「リンダ・ロンシュタット サウンド・オブ・マイ・ヴォイス」「ブリング・ミンヨー・バック!」「真夏の夜のジャズ」「アメリカン・エピック 1〜4」「ルンバ・キングズ」「サマー・オブ・ソウル」「黄金のメロディ マッスル・ショールズ」。

古い映像も多く、もうこの世界にいない人々が歌ったり踊っている姿をたくさん見た。

「真夏の夜のジャズ」は1958年のニューポート・ジャズ・フェスティヴァルの様子で、主たる観客は裕福そうな白人だ。トラッドを着崩してくつろいでいるが、ステージ上の黒人ミュージシャンはみんなスーツにピシッとタイをしめていてなんというか…。アメリカはちょうど公民権運動の頃。

黒人の音楽も白人の音楽も、日々の貧しさや苦しさや痛みの中から生まれてきたその流れを、図らずも辿り直した。自宅に帰り、DVD「ボウリング・フォー・コロンバイン」の付属ブックレットに載っていた冷泉彰彦さんの「『居場所』の喪失、アメリカの危機」を読み返す。

アメリカが育んできた二つの場所が、90年代を通じて奪われていった。
この時期にアメリカをアメリカたらしめていた二つの居場所、「多様なものの共存」と「孤独を愛する心」のどちらもが崩壊していった。

「ボウリング…」の公開は2002年。ちょうど20年前か。

音楽や映画は私たちの気分を変えるし、認識も変える。それは知っている。けどなにも変わっていないことを突き付けられる。社会のしょうもなさはともかく、映画はどれも素晴らしかった。

9月◯日

岸本聡子さんが杉並区の区長になって3ヶ月。彼女の「みんなの話を聞きたい」姿勢が、ランダム抽出された区民20名との半日プログラムとして実施された。たまたまその1名になり荻窪へ(くじ運がいい)。

Diary:Sep 4, 2022
Titleで本を買い、天沼区民集会所という施設を訪れ、区が主催する3時間ほどのミーティングに参加した。
https://livingworld.net/nish/dialy/20772/

「西村さんが東京に戻ったタイミングで、区長が岸本さんに。これはなにか起きるのでは(ワクワク)」と話しかけてくる人がたまにいるけど、そういうのないので。私はしばらく休みたいし、少なくとも秋口までは家の片付けとプール通い…と思っていたらもうすっかり秋だ。

9月◯日

映画「ベルベット・クイーン ユキヒョウを探して」をみる。「Wataridori」以来の衝撃。どちらもフランスの制作だが、かの国になにか通底する自然観があるのか。

9月◯日

映画「劇場版 荒野に希望の灯をともす」をみる。心が安らいで、いくつかTweetした。
https://twitter.com/lwnish/status/1570407595256717315?s=20

9月◯日

山手線の小さな事故で、大宮駅で2時間すごしたのち、3年ぶりの陸前高田へ。

Diary:Sep 25, 2022
なにを学べるとか、成長できるとか、出来るようになるといったことをまったく謳っていない「箱根山学校」を始めて約8年。先週末の三泊三日、陸前高田で20~30名とすごした。
https://livingworld.net/nish/dialy/20824/

イベントは準備が8割で、ある意味当日がいちばんのんびりできる。始まってしまえば2時間とか2日間とか、もうあっという間に終わってしまう。「箱根山学校」は全10回と話し合って始めたので、残り2回か。物事には寿命があるから次が生まれるし育ってゆくとは思う。来年は9/22〜25。

9月は来年1月の「BOOK, TRAIL」や、12月の「どう?就活」の細々とした準備も重ねた。準備は9割じゃないかな。

9月◯日

関西の大きめの会社に「働き方」関連の仕事で出張。行きの新幹線からTwitterで天満橋界隈のお薦めの店情報を求めると、バババッと集まって向こう半年くらい使えるリストができた。(ありがとうございます)

その一つは天神橋筋のアーケードから3ブロック入った四つ角にあるお店で、カウンターでルーロー飯を食べながら、誰かが教えてくれなかったら到底辿り着けないな…と感謝の気持ちでいっぱいになった。
やさしい味。ちょうどいい美味しさ。隣の家のお爺ちゃんが自宅の子機を片手に話しながら入ってくるようなまち場のカフェで、ダイニングで、リビングルームだった。また訪れたい。

9月◯日

桑沢デザイン研究所で年に1回の講義。フードハブ・プロジェクトをグラフィック面で支える石橋剛さんがゲストで来てくれた。
彼も桑沢の出身。自分たちの延長線上にいる中堅デザイナーであり、本人の生き方や働き方を試みている真っ最中、かつ等身大で盛らない彼の語り口に学生さんも嬉しいものがあったようで、講義後の感想シートがいつにも増して温かかった。来年も来て欲しい。

講義の中で彼が「冷水シャワー」について聞かせてくれるくだりがあり、この日をきっかけに「無理」と思い込んでいたそれが習慣化した。(3週間以上つづいている)

9月◯日

映画「アザー・ミュージック」をみる。小さな店やオーナーショップのこと。福岡・ブックスキューブリックの大井さんの「僕は〝小売店万歳〟ですよ!」という話を思い出しながら帰る。

9月◯日

ナカムラケンタさんと中川晃輔さんから夏前に相談を受けていた「日本仕事百貨」の全員合宿で、清里・清泉寮に滞在。

立ち位置は〝親戚のおじさん〟。自分が「する」のではなく、他の人たちが「するのを可能にする」ミーティング・ファシリテーションの仕事を二泊三日重ねて、このあと3ヶ月ほどつづく大事なプロセスが始まった。

小さな会社は「生業」と「事業」のあいだで揺れている。「生業」は人に依存していて、その人がいなくなればその仕事もなくなる。「事業」は人というよりシステムに依存していて、特定の誰かがいなくなっても作動しようとする。

駆動軸が異なるわけだけど、数名から十数名ほどの小さな会社は、スピーディに事業を拡大させてシステム軸に移るか、あるいはこの二つの性質のあいだで揺らぎながらバランスを取ってゆくか、このさじ加減に個別特殊性がでる。

百貨のメンバーの多くは、ケンタさんの本『生きるように働く』のタイトルワードを基調音のように共有している。ワークとライフを分ける考え方にあまりピンと来ない、「ワークライフバランス」みたいな言葉にはたぶん「?」となる連中が集まっていて、そんな彼らと感覚の近しい経営者や、会社・組織が求人の相談を持ちかけてくる。

日本仕事百貨という活動体がよい形で成長してゆくといいな。社会が、ひとが「いる」社会になってゆくのを多少なりとも助けるんじゃないか。「成長」は力がつくとか大きくなることではなくて、本人が安心していられる領域が広がることだと思う。

9月◯日

『教職課程』という雑誌の連載記事「そうか、きみは教員を目指すのか」のインタビューを受ける。

夜、山田貴宏さんの誘いで、彼が「タガヤセ大蔵」などを手掛けてきた世田谷の安藤勝信さんと進めている新しい都市住宅と都市農園のレビューを聞きにゆく。
東京都から2名・国交省から1名、東京の緑地政策、都市農業の担当者も同席していて、彼らの温度感の高さが嬉しかった。ホクホクして帰宅。



こんな調子で、9月はけっこうな時間を映画館ですごした。あと大小二つの会社の「働き方」にかかわる仕事が本格化した。

大きめの会社の仕事では、いわゆる「働き方改革」の難しさが、抽象的なコンセプトに頼りすぎるところにあるのを思い出している。
たとえば言葉で「創発」を掲げたところで、たとえばオフィスに「コラボレーションルーム」をつくったところで、創発もコラボレーションも起きるわけがなくて、むしろあらかじめ失われてしまうような側面があるのをどう捉えるか。

「ワーケーション」なんて言葉もどうせなら口にしない方がいい。思考は言葉でできているのだから、言葉を大切にした方がいい。不用意に振り回さない方がいいし、コンセプチュアルになりすぎないことが大事だと思う。一緒に経験してしまう方が早い。といったことを9月は、50mプールの折り返しで一息つくたびに思い浮かべていた。