本音
ただの備忘録。
もう一件の記事よりも、汚い、醜い、話。
記憶を美化しないために、残す。
たくさんの感情があふれてこぼれていく。それを忘れないように。
この一週間、いろんな感情に押しつぶされたことを事実として受け入れるために。
2/20
顔を見たこともない、声を聴いたこともない。そんな人たちと一週間かけてひとつの舞台をつくっていく、という不安。
それは顔をみた途端、大丈夫だって思えた。
オンラインでもみんなが頑張っているということを誰よりも見ようとしていた、だから、根拠もなく大丈夫って思えた。
そんな舞台メンバーと行ったリハ。
司会のたくまさんに来ていただいて、私にとって初めてのリハ。
今までつくってきたピースがあわさって、ひとつの「完成形」が見えた。
鳥肌立った。こんなにもすごいものをつくっていたんだって実感がやっとできて、まだまだできるって思うこともできて、やっと「多くの人に来てほしい」って思えた。これなら、届けられる。
そう思って準備を重ねていたのに、数日後に行ったリハがなぜかうまくいかなくて。
ピースの形がぴったり当てはまんなくて、もやもやした。
あの日の鳥肌はどこへ。
これじゃ届けられない。
時間が足りない。
焦るばかり。
思えば、このあたりが限界だったのだろう。
次の日の朝、たくまさんに来ていただいて合わせていた時。
DREAMの司会が、本当に感動した。
大好きなDREAM、今までたくさんの時間と熱意をかけて運営していた、けれども納得せず終わってしまったDREAM。
あの、いつからか忘れていた「DREAMが好き」という感情を一気に思い出させてくれた、たくまさんの司会のことば。
同じ気持ちを来ていただいた方にも届けたい、ここから最高の形でプレゼンターに場を渡したい、今まで共にDREAMを運営してきた仲間に聞いてほしい。
でも、これだけがよくてもダメ。
これだけじゃ、届けらんない。
焦って焦って不安がいっぱいで怖くてうまくいく自信がどうしても持てなくていろんなものを疑って、糸が切れた。
最高のものが目の前にあるのに、それを提供できる「完璧な」場を残りの数時間でつくりあげることは不可能に近いのではって思っていた。
完璧をつくるまでに潰さなければいけない不安事項が多すぎた。
今のままじゃお金をいただいてきていただく価値はないって私は本気で思っていた。
いっぱい泣いて、不安を口に出して、聞いてもらって、熱い想いを持ってるね、なんて言ってもらえて、でもその気持ちが自分を苦しめてるんだなって気づいて。
「舞台」「お金」「時間」に価値を見出しすぎなのだろうか。
諦めるという選択肢は一切なかったけれども、間に合わないかもしれない、という不安が何よりも大きかった。
この素晴らしいピースを、「完璧」にあてはめたかった。それを届けたかった。
この時の数時間は、私にとってすごく大切な時間になった。
焦っているときほど「無駄」を大切にすること。
熱い想いやこだわりはみんなが持っているわけではないということ。
今この状況下で会場に足を運んでいただく、お金を払ってきていただく、時間をつくってきていただく。
そんな方が何百人もいる。その方々全員に満足して帰っていただきたい。
そんな想いを強く持っていたからこそ、私は前日のこの時間このタイミングで、切れた。
でも、だからこそこのタイミングで切れてよかった。
少しだけ余裕ができて、みんなの顔を見てどういう気持ちか知ることができて。
だからこそより今から死ぬ気で頑張ろうって思えた。
舞監がそばにいたから、気持ちを汲み取れるようになったから、やれた。
当日までタスクは終わらず、ばったばたの中ホールへ向かい、リハを行い、当日調整が山のようにあり、不安定のまま本番を迎えたように、思う。
けれども、今までの不安や努力を考えたらきっとどうにかなる、大丈夫だって思えて。
みんながいるから、大丈夫。そばにいるから。
終わってみての感想は、まだできた。もっと頑張れた。そんな気持ちばかり。
なにをどうすればもっと良くなったのかって終わってからもずっと考えてしまうほどに「完璧」ではなかった。
それでも、これだけは自信を持って言える。
これは、変わりようのない事実。
もっと広くみて、リスクを考えて、リハで伝えて、より良い舞台をつくれればよかった。
ずっと不安だと言っていたあの時にあの子のそばにいてあげたらよかった、せめて手を握るだけでもしたかった。そしたらなにかが変わっていたかもしれない。
そんな後悔もたくさん溢れてくるけれど。
でも、あれが最大限だった。間違いなく。
私たちがつくった舞台は、あの瞬間最高に輝いていた。
ここで当日の気持ちを書き残しておきたい。
誰にも、言葉にして伝えなかったけれども、きっと誰よりも当日悔しい想いをした私の気持ち。
元は照明担当だった私。一週間前に舞台袖担当になり、前日にスライド切担当になり、当日にカンペ担当になった。
やりたいって言い張ってやらせてもらった「照明」という大切な役割を自ら手放したこと、一番こだわりを持ってやりたいと思っていた「舞台装飾」を中途半端に、結局やらずに終わらせてしまったこと、頼まれたタスクを完成させることができずに当日本番を迎えたこと。
そして、結局当日までいいように使われ、挙句私は必要ではなかったのでは?というポジションでの仕事。
間違いなく、私がいなくても成り立った。
今までさんざん綴ってきたが、「舞台」というものに相当な想いをもって2か月間活動してきた、つもりである。
けれども、私は舞台チームとして何ができたのか、そんなこと今になってもわからない。
舞台チームで撮った写真を見て幸せだ、って思うけれども、私は何をしたのか、貢献できたのか、わからない。
正直何を頼まれたって完璧にこなすんだって気持ちでいたから、進行表はもちろん完璧に把握済み、スライド切りも舞台袖の動きもマイクのオペだって完璧にできたはずだった。
もし舞監、副舞監が倒れたときに舞台が止まらないように、なんだってできるようにしていた。と思っていた。
(“代わり” ではなく、最悪の場合の ”選択肢” として。)
けれども結局は何も知らなかったカンペ。
なんだってできると思っていたはずなのに何もできない、仕事がわからない、誰にも助けも求められない。
同じ「舞台」なのに、何も見ていなかった。
悔しさと不安と不甲斐なさに押しつぶされて、覚悟も持てなかったけれど、やりきった。はず。
自分自身はやり切った感は持てず、後悔もたくさんあった。
まだ書けていない後悔だって山のようにある。
けれども、舞監、副舞監、ブロリ、統括、そんな今までとてつもない責任感と共に動いてきた人たちが笑っていたから、「終わりだ」って思った。
どれだけ後悔しようとも、終わりなんだ。気持ちにひと段落つけなければ。
そんな私のBackpackFESTAを終わらせてくれたのは「あきはがんばった」ってたくまさんのひとこと。
私のいろんな気持ちを聞いてくれて、たくさん見てくれていたたくまさんが言ってくれた言葉だったからこそ、終われた。
わたし、頑張ったんだよ。
誰もわたしの頑張りなんて知らないだろうけど。
無駄に持っていた責任感と、死にそうなほどのプレッシャー。
何度もそれに押しつぶされたけれども、最後はやり切った。
成功した、なんて言わない。
この言葉は、2か月間持っていたこだわりを一瞬で否定してしまうから。
私はこれで成功だなんて言えないです。
でも、「終わり」を迎えられたの。
『誰も倒れず、みんなで「終わり」を迎える』これが私の目標だった。
これね、達成してるの。
「みんな」ではないけれども、ほぼみんなで。
目標をもっと高く設定していればもっと良いものが作れたのかもしれない、って今ちょっと思ったけれども、最低限の目標は達成できた。
すごくない?
時間がたてばたつほど、振り返れば振り返るほど、後悔が山ほど出てくる。
それでも、あの日の「最高」を届けられたことは何よりもうれしかったし、安心した。
こんなにもわやくちゃな感情を抱かせてくれた舞台、DREAM、TABIPPO。
こんな経験は一生ないと思う。
ここまで全力で、なによりも優先して、「最高」をつくりだそうとしたことは私の誇りです。
舞台チーム、そしてDREAMチームで、本当に良かった。
死にそうになってもunicoにいて良かった。
TABIPPOに入って、みんなに出会えて本当に良かった。
上げだしたらきりがない「後悔」。
それでも、私は「満足」している。
この舞台に関わってくださったすべての方、TABIPPOを通して出会えたすべての方へ、最大の感謝を。
円陣組んで、みんなの顔の向こうに客席が広がってる光景、本当に好きだった。一生忘れない。
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