学問 > 安息 > 健康
大学院に入って、早いものでもう8ヶ月が経っていた。
前学期は、なんて苦しくて辛いんだ!課題が多い!と思っていたけど、今から思えばいやいや少ない方じゃないの…丸々1週間辛い期間が1週間おき?まぁそれも辛いけど週7で辛いよりは楽じゃないかい?んん??という気持ち。つらみのアップデートは別に望んでいない。
前回辛かったことはなんだろう?と考えたら、やっぱり自分の課題なのに丸ごと彼に教えを請わないと何も分からなかったことだったと思う。あちらだってとても大変なのに教えてもらうために時間を割いてもらう、なのに私には教えられることはない。10年以上ここで生きてきた実績もプライドも、どこにもない。
明確な答えがある課題ではなかったので、自分が(もとい彼が)導いた答えが「正しい答え」であるかどうかが分からなかったというのもストレスになっていた。こういう解釈もあるよねーができるのは言語の研究のメリットでもあり、ひよっこ研究者にとっては精神力を削られるという恐ろしいデメリットになりうるということをこの時思い知らされた。
では今学期の辛いことはなんだろう?たしかに1日に最低1本論文を読むことは時間をあっという間に奪われるし、何を書いてあるんだかよく分からない時ばっかり。でもそれよりも、時間をかけて読んだ論文の内容をディスカッションに活かせていないのが一番辛い。極論を言えば論文をテキト〜に読んでても、アドリブがきけばちゃんと授業に参加してクラスに貢献してることになる、と思っている。でも何時間もかけてノートもとって論文を読んでも、ディスカッションの内容が分からない、先生の質問の意図が掴めない、自分のアウトプットは皆無なのかと自覚することが辛い。先生に申し訳ないと思っていても、頭の中を探し回ったって言葉は落ちていない。いやだなぁ私に話を振りませんように…と今日も祈る1時間15分。もしくは色々言いたいことはあるのに上手く英語にできなくて結局目立ちませんようにと猫背で耐える2時間半。ディスカッションができる方がきっともっと楽しい。
そんな葛藤をして早1ヶ月。前回と同じくらいのタイミングでまためまい発症。今回は貧血だと信じているけど果たしてストレスなのか眼精疲労なのか…。
ごはんを食べていても本を読んでいても友達とおしゃべりしていても、課題の数と内容が脳内に常にあふれて私の楽しみの邪魔をする。
さて、大学院生に安息の地はあるのか。
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