M10.参考文章②

1つ前の記事の中で、流れで書いたことを掘り下げたいと思う。
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「大嫌いな2文字の言葉があって。何故かというとその言葉は使ってしまうと途端に形骸化してしまうからだ。使った途端に嘘になる。そんな言葉は言葉として機能していない。」
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1つ前の記事で「青春」という言葉についてこう書いた。「青春」という言葉は本当に嫌いで、何故ここまで嫌いなのかについて書きたい。
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1番最初にこの言葉を意識したのは恐らく高1の時のこと。当然言葉の語義はもっと前に知っていたと思うけれど、きっかけがあるまでは特に深く考えたことはなかったはず。
きっかけとは、平成24年8月15日発行の『bridge vol.72 SUMMER 2012』という雑誌。表紙は奥田民生と星野源で、その2人のインタビューが巻頭の特集になっている。この前の『bridge』では奥田民生と斉藤和義が表紙で2人のインタビューが巻頭特集になってるものが出ていて、それが面白かったので買った。星野源もまだ今ほど売れてなくて、SAKEROCKも活動していた。
奥田民生も星野源も興味を持ってそれほど時間が経っていなかったので、この組み合わせは俺得だと思ったのを覚えてる。
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2人のインタビューの間に事前アンケートに答えた紙が掲載されている。その中の項目の1つに「自分の青春が終わったと思ったのはどんな瞬間ですか?」という項目がある。星野源の回答は「始まってない」奥田民生の回答は「ない」。「青春を仕事にしているから青春はない」だとか「そもそもよくわからない」だとか言っていた。
なるほど、青春というものには「学生時代の甘酸っぱい経験」みたいなことだけではないんだな、そう思った。
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青春は青春のその最中には気づけないもんなんだろうとは思っていた。学生時代に青春は存在しなくて、後々大人になった時、その時、学生時代は青春になるんだろうと。
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いや、でも、それはどうなんだろう。
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ひっかかった。
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人は過去を振り返って過大評価しがちだと思う。
「あの頃良かった」「あの頃良かった」と言って、過去を賛美しながら未来へ進む。
当時には良さに気づいてなかったなぁ、なんて思いながら。
だけど、本当はそんなことないんじゃない?と高校生の時の私は思った。
実際に人生の良さをグラフにした時、右肩下がりになっていたとしたら、過去を振り返れば「あの頃(は今より)良かった」ってなるんじゃないかと。
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今考えると余りに暗い考え方な気もするけど、間違っちゃいないとも思う。過去を賛美しないとやってられないから、賛美するという面もある、きっと。
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青春という言葉はその「嘘賛美」に一役買ってるんじゃないか。
高校生の時にたどり着いた答えはこれ。「あの頃は青春だった! 今の糧だ!」と言ってどうにかするために使うんじゃないかと。
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でもしばらく経って、大学生になると気づいたことがある。
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青春って言葉、学生の方が好きじゃん。
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青春って言葉に過剰反応し続けた学生生活の結果、気づいた。青春最中に青春を意識してるのはなかなか妙なことで、よくよく周りを見てみたら「思い出づくり」だとかそういう言葉はそういう状況に紐付けされている考え方だ。
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なんで青春という言葉が学生にまで降りて来たんだろうか。
学生特有の楽しいと思うもの、嬉しいと思うものは別に今でも変わっていないと思う。まとまった数の同世代と一定期間共にすることによるケミカル、みたいなものだ。
解釈が変わったのかもしれない。
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今楽しい嬉しい尊いこの状況を他所から持ってきた「青春」という枠組みで捉え始めている、きっと。
なんでそうなっていったのかはわからないけれど、なんとなく心当たりがあるのは映画だ。
例えば、はたから見たらほっとんど同じに見える学生ラブコメの映画予告。当然、はたから見てないきちんとした観客たちにはそれぞれ全く違う作品なのだと思うけれど、周りにはあんまりわからない。
なぜはたから見たら同じに見えるのか、それはきっと「作られた青春の枠組み」があるからだと思う。
こういうものが青春ですよ、素敵ですね、といったようにモデルケースの類型みたいなものを作っていく。そして、それに憧れてしまうくらい素直な(主に)中高生は良くも悪くも影響されて、「私たちは今青春の中にいる!」となる。
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こういう風に2つの解釈をした。1つは過去の過大評価のための言葉、もう1つは作られた枠組みにハマりに行くための言葉。
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そして最初に戻る。
こういった解釈の上で、青春という言葉が嫌いだ。
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1つ目の解釈はまだあまり古典的な青春(「学生時代」とほぼ大体可能な)から脱していないので、置いておく。もしこの読みが当たってるならば、回顧して喜ぶのがあんまり好きじゃないから、くらいにしておく。
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問題は2つ目の解釈。
青春ってそんなみんな同じものですか?
あなたにとっての青春は俺にとっての青春ですかね? 
世間一般で使われてるこの言葉は現実の「青春性」を全く許容出来てない! というのが私の意見なのです。
もし仮に現実に無理くりこの言葉を当てはめてしまったら、現実の輝きを損なう。
青春ってそんなに俯瞰できるものじゃないんです。「今私青春してる!」なんて思ってるならば、一度立ち止まって、未来の自分に立って振り返ってる、青春とあまりに相反する行動だと思う。
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2回の駄文から、それぞれ一個ずつ私にとっての青春を定義する要素を出すならば
①気持ち1つで動いてる。(損得とか考えたくないしがらみを本当に考えずに済んでる)
②目的に夢中。時間軸的に俯瞰するほどの余裕はない。(目的遂行のための俯瞰はあるだろうけど)
になるかと思う。
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結局。青春って言葉は大嫌いだけど、青春そのものは尊いものだと思ってるんだと思う。だから一般的に使われてるこの言葉ははどうしても受付らんない。
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めんどくさい人間だな。

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