2020.04.08.

私が寝るまでは今日は8日だ。

・文章を書くのは好きだが提出するレベルのものになると途端に腰が重くなるのは「作業が終わってしまうのが惜しい(次を考えると億劫)」「論理的に、効果的にと考えるあまり気合いが入りすぎる」が理由か。そして集中するまでに少なくとも20分×2回、つまり40分はかかる。作業が完了するまでではない。集中できるまでにこれだけかかるのだ。そして
→とにかくたくさん書いてみること。後から並べ替えると見えてくる性質。
→40分1セットが終わったら腰を伸ばすこと。腰痛起こす。

・女子特有なのかどうかは知らないが、群れて誰かを虐げるという流れが私は大嫌いである。そういうことをされた経験があるからだし、何より虐げている群れの中には虐げる対象のことをよく知らない人間がいることに大いに憤ってしまうからだ。どうして相手のことをよく知らないくせに罵ったりできるのだろうか。直接被害を被ったわけでもないのに、当事者のような顔で文句を垂れることができるのだろうか。未だに理解できないが、SNS、現実問わず多くの場面で目にする光景である。そういう時私は一切顔を出さないし口も出さないようにしている。加担するものはいつか加担される側に回るからだ。
最近、そういう流れが周りのグループで起こっていて、あまりにも不愉快でつい口出しをしてしまった。それで傷つけてしまった子もいる。済まない。ただ、これはあくまでも私の「嫌い」であって、「汀はピーマンが嫌い」と同程度のそれだと認識してくれと頼んだ。私は顔を出さなくても、そういう場面で振る舞える人が振る舞えばいいのだと言った。だから妙に遠慮して言いたいことを言わなくなるようなことはしないでほしいとも伝えた。

・上記のことを踏んで、ふと私は最近自分の意見を言う事に恐れがあまり無くなったなと実感した。恐れがなさ過ぎて叱られることも増えたが、以前のように縮こまってヘラヘラ笑って、陰で誰かを勝手に評価して見下していた私に比べたらはるかにマシだ。味方も増えたし、何より私自身が私の味方である。私が私に嘘をついていないから、安心して生きている。それがいい。いちばんいい。誰かに嫌われるという経験もした。誰かと喧嘩する辛さも知った。その度傷つき、涙したりもした。けれど、必ず後から「ああ、今私は生きているのだ」と思って嬉しくなった。雨降ればなんとやら、である。もとより楽観主義なので、その場でワッと泣いたらあとは大笑いしている性質だ。誰かとぶつかったりぶつかられたりするのは苦労も伴う。でも私はやめたくない。拒絶される前に拒絶するような、そんな生き方はもうしたくないのだ。馬鹿でいい。

・久しぶりに大好きなバンドにファンメールを送った。気分が晴れた。

・大学の授業再開日がどんどん延期になる。この機に学びたいことを一気に学んでしまいたい。とりあえず明日、奨学金の書類はどうすればいいのか電話をしなければ。

・ああ、そういえばこの前ポチと電話をした。相変わらず優しい子で、話は上手で、楽しい時間で、すっかり夢中になってしまった。もう彼が大好きだという意識が徹底的に刷り込まれてしまっているらしい。マブダチだから仕方ないだろう。詳細はまた後日。

生きていると毎日感じるような生き方がしたいな。がんばろ。

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