父親とたまに喧嘩するって話

note、書こうと思わなければ書くことってないというか、そもそも意識しないものですね。
久々に開きました。そういえば今日は久々に感情的になったことがあったので書きます。

僕は現在大学生で、実家から通っている身である。
親には基本的に強く感謝をしている。
高校生くらいで同じ高校にいる周囲の人の多様さのみならず、ネットをも通じてそれを体感した。
そのあたりから自分の知っている家庭事情の「常識」はどこにいっても通用するものでないと意識したため、自らの家庭環境の恵まれ方を忘れることはできなくなった。
それについて思うことは時と場合によって様々にあるし、常に素直に自らの家庭環境を喜ばしさだけで享受しているかというとそれは嘘になってしまうのだが、それでも両親への敬意と感謝は、例えどうあっても捨て去ってはならないと感じている。
この歳になって人生選択のタイミングで「やりたいことがやりたいんだ」などと言い出したとんでもない息子を受け止めて許してくれたことも相まって、この感情は強い。

ここまで並べたことは本音であり、そのうえで今から書くことへの言い訳のつもりがある。
なんて野郎だと思われたらそこまでだが。

高校の頃からあまり変わっていないことだが、親に対して持つ疑問が強くなった時に、考えをぶつけるようになった。完全に自分が間違っている時にイラついて反発してしまうことはさすがにその時からかなり減ったと感じている。それでも感情的にこられると我慢ならないことは未だにあるが。
父親に対しては特に、あまりに納得のいかない瞬間、我慢の効かない瞬間がある。というか、あの人に対してはそうでなければ何か反発する言葉を投げ掛けることがない。元々僕にとって父は尊敬のみの対象だったし、全てにおいて正しいものだと思っていたから。
だがたった20年程度とはいえ、触れるものが増えると、父親の姿、言葉に抱く疑問は自然と増えた。
「あぁ、この人のつまらないプライドが見えたな」と思ったその時など、とてつもなく残念な気持ちになる。無論自分の知見も大したものではないから、父が一概に間違っているとも、自分が絶対に正しいとも言えないことが多い。そういうときは訝しむ程度で、苛立ちをぶつけないようにさっさと目の前からいなくなるように努めている。最もここのところは、そうでなくても(かなり我慢ならないと感じたときでも)、言い合うだけ時間の無駄だと感じて席をはずすことが増えはしたけども。

一度、普段泣かない自分の目から涙が止まらなくなるほど怒り、滅茶苦茶に言葉をぶつけた時があった。その時の理由は、母が忙しかった1日の終わりに、晩のご飯を外で買い物して用意してきてくれたものに対して、感謝をしないのみならず、あまりに心ない言葉を向けた、という日常的な一コマの中のものだった。我が家は基本的に父の収入で成り立っているため、父の立場や疲れを考えるとそういった多少の言葉には目を瞑ることが多かったが、その時は母が涙したこともあり耐えられなかった。
(普段からひどいモラハラ気質といった事実はないことに触れておきたい。)
絶対に自分に間違いはない、父はおかしい、この人が絶対的でなどあるはずはないと、その時それまでになく感じた。

最近あることでいうと、休日やリモートワークの合間に台所に立った時に、「自分の整理整頓したと感じた場所に物がない、片付けろよ」と苛立ちをみせている。当然、普段炊事をしてくれているのは母親だ。食後の洗っていない皿がためてある時にも、同じように呆れた様子で言葉を母に投げる。
まぁ、汚いと感じたときに誰かがやるより先に自ら皿を洗ってくれたり、片付けていることは良いと思う(それもこれ見よがしにやってやったような顔をするときが度々あるのであまり好まないが)。
だが、整理の仕方を自分の基準でやらせようとしていることはあまりに納得がいかない。調理場にたつことが増えたのはここ一年だし、それでも普段あの場所を使うのは母だ。ゴミが置いてあるといったようなことではないし、常に恐ろしく散らかしているわけでもない。ようは片付けている場所が気にくわないみたいなことだ。
調理器具の場所は母が管理して置いていてなんの問題もないはずではないか。みんなが使ってもいい場所だが、それでも普段家事炊事を基本的にやっている母に対してそのような言葉をぶつける権利はないはずだ。
今日の昼にはラックの左側に重ねておいてあった鍋のひとつを指して「これはこの棚の右側に俺が置いたはずだ、何でテキトーに置くんだよ」と。
流石に我慢できず言葉をぶつけた。オメーが普段それ使ってねーだけだろ。左右を探る手間くらい当然に受け入れろよ。(原文ままではない)
今日はあれから口をきいていない。自分が間違っているとは到底思わない。

、、、書いていることがくだらなすぎるしプライベートすぎるし長いし読みにくい。というか上の最後の数行のために書き出した文がこのザマか。なんだこれ。
いや、でも僕にとって家庭内でのこんなことの積み重ねは本当にストレスだ。こんなことを通しても僕は痛感するのだ、人と暮らすことはとんでもないことだ、と。結婚して同居なんてまして人間業ではないと。
最近、一人立ちにあたって友人とワンルームをシェアすることなど本気で考えたりもしたが、そのことも少し非現実に感じられたりする、こんなことが理由で。
そして、家族については、父を心から尊敬し続けることが、自分の父であることを除いて、あまりに難しすぎると、日増しに感じるのである。これだけ愛情と金を受け取っておいてこんな感情を持っていては、親不孝極まるなぁなどと思うことも、増えていく。
一人で早く暮らしたいが、今後のことを思うと一人になった先が怖かったりもするし、その感情もぐるぐると頭を回る。

父とのちょっとしたことでの喧嘩に付きまとう僕の中の感情は、ちょっとしたこと、とは言いがたい。そんな話です。

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