最後の春休み

この2月いっぱいと3月頭にかけて、ライブハウスでライブに出演などする都合上、家族に感染症を持ち込む可能性が高まってしまうことを理由に、今最も仲良くしてもらっている人の家に1週間から2週間ほどの単位で転々と居候させてもらう生活を行っている。今朝、県外の友人の家から夜光バスで帰宅し、次の居候先の友人宅に忍び込ませてもらったところだ。

まぁ、どんなに気を付けて過ごしているつもりでも、このご時世なんやかんやと言われそうな行動ではあるし、どちらにせよ友人には大いに迷惑をかけてしまっている。しかし、そのおかげでこれまでにも、そして恐らくこの先にもない、かなり楽しい時間を過ごしている。私なりの最後の春といった感じでもあるし、今あるものに大きく感謝をして回る日々にもなっている。
言ってもやってることは学生のお戯れという感じだ、実家はどっちにしても近いから用事があればよく寄るし、不自由は起こりづらくなってる。正直かなり甘く、美味しい期間になっている実感もある。故に、この先にもまぁまず起こり得ないかな、と。

少しずつこの期間に別れも迎えている、そういう年だし、そういう季節だから。いろいろ感情も忙しない。でも毎日そんな風ではない、むしろなんでもない日や時間は本当になんでもなく、穏やかだ。
いろんなこともいろんな感情も押し寄せるし、と同時になんということもない時間でもある。そういう日もあるし、こういう日もある、というよりは、毎日、ずっと全部ある感じだ、自分の感覚として。
かなり不思議で、今しかないぶん時間は停滞して見える。結果、ぼんやりと、確かな充足に包まれている感じだ。その内側に、これもまた確かな、焦りや不安を抱えつつといったところである。


大学4年間、なんだったかと言えば、なんだっただろうなと首をかしげてしまうようなものだ。得たものも結構あったわりには、あれもこれもそんなに保たずに置いてきてしまった。死ぬほど不器用が故、頭も冴えなければ、強い心もない、コンプレックスだけはゆっくりしっかり濃縮してきたような気がする。まぁだからと言って、死ねないんじゃあ仕方がないし、生きようともがこう、ギリギリで先に繋がるギリギリの結論を出せたのがこの最後の一年。
ひとつ言えるとすれば、それに辿り着かせてくれた今残っているものを少なくとも手にできた、そのための4年だったろう。結果的には。全部通して、今助かっている人やものに、確かな感謝を抱いていこうと思う。


最後の春休み、忙しなくて怠惰な1ヶ月強、実に楽しいですね、この先のことも、これまでのことも霞みそうなくらいには。霞んで見えなくなったものも実際たくさんあるんだろうな、それが少し怖くもあるけど。一先ずこの幸せと感謝を確かに噛み締めて、必ず、先を生きていこうと思っています。

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