「都合のいい理想の正体」

去年、母方の祖父が亡くなった。
その後、父方の祖父より思い入れが薄かった事実に気付かされた。
自分が生まれた時にはもう既に亡くなっており、一度も会ったこともないのにだ。それは何故かを知りたく思考のメスを入れてみた。

 松谷の旧家には大きな仏間があり、そこにいつもでかでかと祖父の馬鹿デカイ肖像画が鎮座されていた。毎日仏間でお経を読む婆さんは、幼いころから自分に対して「お爺さんは子供が大好きだったから、やっちゃんの事も凄く可愛がってくれたと思うよ」と何度も語ってくれた。当時の自分はこれを嬉しく感じていたが、今思い返せば呪いの言葉だったと思う。何故なら両親に対して求めても手に入れることが出来ないあれこれを「もし爺さんが生きていたら」と、どこまでも自分勝手に会った事もない既に死んでいる祖父に求めることが出来てしまったからだ。そんな、自分の中で無敵の存在になってしまった父方の祖父と比べられた母方の祖父の事を考えると、自分という人間は生前どれだけの愛に無関心でいたのだろうかと考えたりもするが……正直母方の祖父は自分の求める父性は持ち合わせていなかったように思う。それは残された向こうの家族を見ても明らかだ。だけど、好きか嫌いかで聞かれれば当然好きだったし、今でも鮮明に記憶している嬉しかった思い出もある。

 小学生の頃、爺さんが社長をしていた工場に遊びに行くのが好きだった。
大理石が敷き詰められた床の上にいかにも「社長!」といった感じの机と椅子がある社長室は、真夏に遊びに行くとガンガンに冷房が掛かっており砂漠の中のオアシスのようだった。でかい金庫の上に戦闘機の模型があったのも覚えている。あの部屋にいると自分の祖父が偉い人なのだと実感できて、孫である自分は誇らしかった。

けど、思い出らしい思い出なんてそれぐらいだな。
もっと何か、興味を持って話ができていたら違ったのかもしれない。
人が亡くなった後の「もしも」なんて、意味が無いのだけど。

爺さんは自分のことを「やすくん」と呼ぶ唯一の身内だった。
そうだ。もうその呼び名で自分を呼ぶ人がいない事に気づいて、先週何となく書かなければと思ったのだった。

その時は母方の祖父を中心に話を書こうと思ったが、書けなかった。
今日、父方の祖父について考えていたら、書けてしまった。

残酷だが、天秤にかけるとはっきりしてしまう。
かけたくないと考えるブレーキが優しさなのかもしれないが
今はそんなブレーキを破壊してでも、自分がどういう人間かを知りたいと僕は考えている。

あとで親父に電話して「親父の親父が嫌いだったところ」を教えて貰わないとな。

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