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ひび割れたグラスを満たす唯一の方法

先週の休みのことだ。
外出自粛に全くならない仕事に従事している身ということもあり、密々の密な日々を送ることでメンタルも追い込まれていたのか、床に倒れたら動けなくなってしまった。

その日は現在自分が作っている作品の作業を進めるべく早起きをし、洗濯物もして、ゴミも捨て、朝食もとり、ーそこまでは完璧だった。その後、あからさまな体調不良を実感し、改善しようとシャワーを浴びるも改善せず。
そこから生まれた「どうして休みの日に限って」の気持ちがきっかけとなり、ネガティブな思考に引きずられ床に倒れたのを覚えている。

こうなると自制して閉じていた蓋にしまわれた感情が、一気にぶわぁぁと引きずり出されてしまい、愚痴や弱音に思考が支配される。

自制することを是とし過ぎたことで自身の欲求の解像度が下がり、本音が何なのかわからなくなっており、ただ漠然と「誰かに愛されたい」の気持ちに着地した。

だがそうなると確認のメスを入れたがるのが自分の思考である。
過去に両親や、親友や恋人からの好意に気付かず、理解できず、反故にしてきた過去を振り返り、自分の心はやはりひび割れたグラスような造りになっているのだなと腑に落ちた。

ひび割れているから、どれだけ他人から好意を、愛を注いでもらおうが、割れたすき間からこぼれて落ちて、時間が経てば空になる。

誰だって花が咲かないと分かっている花壇に水をやらないのと同じで、そんな、割れたグラスに何とかしてやろうと思う人間などいない。それに、他人からの愛に期待すること自体が不安定の原因であることも分かる。

そこまでロジックで考えると「愛されるの無理なのでは??」という思考にたどり着いてしまい、途方に暮れた。どうしようもなく涙が出た。

愛されてぇ
けど、いまだに自信の構築が不十分な自分を他人に好きでいてもらえる自信もねぇ

思考がループし続けて1時間後、移動した太陽の光がちょうど自分の頭に射す形となり、セロトニンでも生成されたのか少しずつ楽になっていった。

見上げた天井に手を伸ばした。その手をじっと眺めながら、手をくるんと、自分の顔に向けてみた。気持ちに従い力を抜いて、自分の手で顔を覆ってみた。自分がいると気付いて声が出た。

「僕は、僕のことを愛しているぞ」

欲しかった言葉を探せたからか、勢いよく起き上がることができた。魔法のようであった。最近教えて貰ったご機嫌な音楽をiTunesで再生して、気持ちに体を預けてひとりで踊った。

完全なる自給自足。愛されなければ愛せばいい。そこまで考えるとイメージが浮かぶ。ひび割れたグラスに勢いよく水を注ぐ蛇口だ。自分が自分を好きでいる限りは、この蛇口をひねり放題だ。平気な時は閉めておいて、危なくなったら勢いよく回そう。自分が探していた愛の源泉は、自己愛で良かった。

まだまだ上手くないが、必要に応じて使えるよう強くなろう。
他人のグラスにも注げるぐらいに。

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