目を開けたままねむる

川の底に石ころのひとつも落ちてこないで、ただ何かが上を流れていく。衝撃波だろうが少しの砂だろうが何でも良くって、ただ私は齎されることを望んでいるのです。

私を悦ばせる事物は概ね私であり、時に真珠を落とさせるのも私であると知ってしまいました。肩が冷えることを忘れるまでに熱中させて欲しい。世界に自分だけというのも間違いではなかったのです。

私の周りの漁師たちは威勢がよく、釣った魚をすぐたいらげてしまいます。下品だと感じてしまう。このしまうの言葉には、私が人間になれない理由が詰まっているのです。

火を囲んでいる。本当にそれが炎かなんてわからないのに。それを囲む大衆もまた、暖かくないのに膝を抱えて待っている。その姿がなんともまた。

綺麗だった。と祭りの終わりには口々に連ねる。もう見られなくて悲しいというのは理解できるが、残念だという者には最高の軽蔑を渡す。

尾ひれまで構ってやれなくて御免よと、自身を撫でれば鱗の2、3がどこかにいってしまっていて、恐らくもうかえってこない。こういう時の私はまた生え変わることを知らないのです。

繰り返すことに焦燥を覚えたら引き返せないと洞窟の中の人が言っていました。そのことだけが深く濃く脳裏を突く。何度も何度も。

離せないのに自分は離れて、かさかさの抜け殻の手で必死に手繰り寄せようとする。定まっていない地点に誰かを呼ぼうとした私が馬鹿だったのです。

綺麗なものはいつでも気味悪い。誰しも真反対にあるものくらいなら容易く想像できるからでしょう。その隣に身を置く複雑さを、いどころの悪さを知らずに捕まったらよかったのに、と。

溺れながら渇くとは、言ったものですね。だから今もこうして川底に寝そべり不細工な口をぱくぱくさせているのです。齎されたいと夢を見ながら。

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