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書籍『見守るもの:千蔵呪物目録3』

佐藤さくら 2021 創元推理文庫

書き出しがいい。
プロローグから、凄みがある。びりびりと空気が緊張をはらむ。

この世界のどこかに自分を認めてくれる人がいないだろうかと、自分と同じような苦しみを抱いている人がいて、自分を見つけてくれないだろうかと、ばかみたいな期待を抱くのを、やめられないのだ。(p.11)

絶望を繰り返しても何度も期待を持つ。
こんな思いを知っている人の手に、そっと渡したくなる一冊だった。

佐藤さくらさんという作家は、『魔導の系譜』を含む「真理の織り手」シリーズでは、識字障害や発達障害、性的マイノリティなど、様々な生きづらさを抱えている人々を、そこにいることが当たり前の一人として描いてきた。
「千蔵呪物目録」でも、人間ではないものになってしまった朱鷺と冬二をめぐる物語であり、呪物によって人生を少なからずゆがめられた人々が登場する。

この『見守るもの』の蓮香は、ぱっと見は、ひきこもりに見える。
蓮香の苦しみを描き出すときの、作者の筆致には迫力がある。
このままじゃいけないことはわかっている。自分でもわかっている。誰よりもわかっている。

震える手で履歴書にペンを置いて、緊張と不安のせいで込み上げてくる吐き気と戦いながら書き上げたとき、その空白に打ちのめらされた。
蓮香は職歴もなく、なんの資格も持たず、運転免許すら持たない。自己をPRすることなどひとつもない。普通の人が当たり前にできていることが、なにひとつできない。そもそもこの世を生きていく資格がないように思える。
履歴書に生まれた空白は、それを物語っているようだった。(pp.135-136)

呪物のせいでこのようになってしまったのか。
それとも、このような性質であったから、呪物に選ばれたのか。
呪いを精神病理に置き換えて理解しようとしたとき、たまらなく胸を締め付けられた。
ひきこもらざるをえない人が、このままではいけないとはわかっていても、そのひきこもることを手放すしんどさが生じることがある。
症状がその人の一部となり、場合によっては支えや守りになってさえいる。その苦しみをよくここまで文字化したものだと思う。
ひきこもりだけではなく、依存症や強迫症、摂食障害など、様々な疾患や障害の、手放すことのためらいと折り重なった。

そのような苦しさを書きぬくだけではなく、この中には、愛しくてきれいなものもいっぱい散りばめられている。
それは、人という道理を外れてしまった朱鷺や冬二を、人につなぎとめているものになっているのではないだろうか。
小さな親切や、ささやかな好奇心や、感謝や賞賛。
自分を自分たらしめるものはなんであるのかを考えさせ、そこに自分を自分として承認するひとのまなざしが必要であることに気づかせる。

このシリーズはこの3冊目で完結とのこと。
シリーズを通じて、呪物というアイテムに込められた「祈りが呪いに変わる」ことを扱いながら、「人と人でないものの境界線はあるのか」を問うものとなっていった。
2巻で登場した神から人になろうとしつつある少女の鈴、3巻ではなんとも優しく穏やかで美しい人形の華さん、そして、朱鷺と冬二を並べたときに、人とは何であろうか?という問いが徐々に浮かび上がってきた。
人ではないものたちから人であることを照射するような、この続きを読みたいなぁ。

私は作者の描き出す世界やその世界に仕組みにも愛着を感じるが、どろどろとした感情や思考を伴う生々しい人物たちの、それでも生きていく不器用なしぶとさに魅力を感じている。
傷だらけになりながら、それでも、生き延びていく。
希望の光が見えない時でも、やるしかないじゃないかと闇をかき分けて進むような力強さを感じて、励まされるような、励ましたくなるような思いになるのだ。
本人には見えていないかもしれないが、それがこの人の輝きであるように思うのだ。

最後にもう一点。
この「見守るもの」を読んでいると、村山早紀さんをふっと想起することがあった。
人形というモチーフが、私の中で両者をつなげたのかもしれないが、考え直してみると、もっと大きなところでつながっているような気がした。
それは、彼ら人ではないものが、人をとても愛している、というところである。

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