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母に頭をなでてもらった

50歳を過ぎて、母に頭を撫でられることがあるとは思わなかった。

抗がん剤治療が終わったのが11月。
一ヵ月した頃から髪が伸び始めたので、年が明けての1月だったか、2月になってからだったか。

風呂上り、洗面台で化粧水などを使っていると、母が私の頭を見ていた。
髪の長さは5mmぐらいには伸びていた。地肌が見えて、全体に青っぽく見える頃合いだ。
そう。まるで、昔の野球少年のいがぐり頭のような、そういう外見になっていた。

母がうずうずしているように見えて、訊いてみた。
「撫でてみる?」

「思ったより、柔らかいのね」と言いながら、嬉しそうな笑顔で撫でる母。
私が一人っ子なものだから、母は男の子の坊主頭を撫でるような体験はしたことが少ないはず。
それで、触ってみたくなったんだろうと思った。

抗がん剤治療後にはえてくる毛髪は、最初は産毛なので、とても柔らかい。
馴染みの美容師さんからもそのように聞いている。
最初は産毛で、1cm以上になったぐらいから普通のしっかりした毛髪になってくる。
だから、母が期待するような、ざりざりするような手ごたえじゃないでしょーって、笑いあった。

この年になって、母に、頭をなでてもらった、という話。
書きながら、「そうか、母は娘の頭を撫でたかったのか」と思った。
母が撫でたのは、娘の坊主頭ではなく、娘だったのだ。
それは同時に、もしかしたら、まだ産毛がやっと生えそろったころの、赤ん坊の頃の娘だったのかもしれない。

母は、どうやら、私が治療をよくがんばっていると思ってくれている。
就労をがんばって続けていると認めてくれているし、生きていることもがんばっているのだとわかってくれているのだろう。
母の中に、逆縁になるのではないかという不安が見え隠れすることがある。
私のがんは、まだまだ致命的な状態ではないにしても。

母は、私を守ろうとがんばってきてくれた人だ。
この病との戦いにおいて、母がなにもできないことを悔しく感じていたり、母が自分を責めているのも感じている。
それこそ、この年になっても、母は母であり、娘は娘であるのだ。
それを、愛であると、今は受け止めることができるから。

そろそろ、物忘れがひどくなってきて、感情の起伏が激しくて、めんどくさい人なんだけど。
いつか母が私をわからなくなり、いつか母がこの世を去ったとしても、憶えていたいと思った。
だから、書いておく。

この年になって、母に、頭をなでてもらった。

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darazさんのイラストをお借りしました。
この方の描くシロネコさんは見ているだけで寂しそうで、イラストを選ぶまでに涙ぐんでしまいました。
ひとりぼっちのシロネコさんのイラストを最初に選んだのですが、それは未来の自分の投影だったのですが、寂しさがあまりにも耐えがたく感じて、こちらにしました。
きっと、こんな風に、私の中の幼子が甘えて泣いているのです。

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