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滔々と紅

志坂 圭 2017 ディスカヴァー・トゥエンティワン

旅先で大きな書店に立ち寄った時、さわや書店の方の誉め言葉が帯になっており、興味を持った。
その時は帰宅してから最寄りの本屋さんに取り寄せをお願いしたが、残念ながら取り寄せが難しくて手に入れられなかった。
それから2年。
幸いにも、#NetGalleyJP さんで読む機会を得た。

忘れたことはない。
冒頭のインパクトは、それぐらい大きなものだった。
目の前に浮かぶほど、ありありと描き出された干ばつに襲われ、極度の飢餓にさらされた農村。
見えるようであるが、けして映像化は許されないであろう、凄惨な場面から物語は始まる。
駒乃という少女の物語だ。

駒乃は江戸吉原の大見世である扇屋へと口入される。
禿「しのほ」となり、新造「明春」となり、やがて、「艶粧」花魁となる。
同じ人間であるはずなのに、役職が変われば、呼び名も変わっていくのだ。
江戸時代も終わりがけの天保年間の吉原を再現していくような詳細な書きっぷりは、読み手を物語に引っ張り込む力がある。

もしかしたら、もっと暴力的で容赦のない描写も書ける作者なのかもしれない。
そこを、主人公に駒乃を据えることで、死や暴力にさらされ流されながらも途絶えることのない、生が際立ったのではないか。
駒乃の人生は、今時の感性からすれば苦労の連続だったとしても、翡翠花魁やなつめなど、あたたかでやわらかでうつくしいものがなかったわけではなかった。
キラリと輝くうつくしいものが、彼女の未来を照らしていた。

私が主人公に共感して、一体化するように読んだかというと、そうではない。
駒乃はじゃじゃ馬で、一本気で負けず嫌いで、だからこそ生き抜いたというふさわしい力強さが魅力があるのだけれど、当時と現在では死生観や価値観がおそらく違う。
常識や感覚が違う。
その違う感じを忘れさせない緊張感が、最初から最後までぴんと一本、通っているのだ。
その一本線に、思いがけない伏線が仕掛けられており、読後には爽快感が残る。

江戸ものというと、吉原ものが多いのはなぜだろうか。
そこに資料が多く残っているせいなのか。平和で過酷な農村では物語になりづらいのか。
色街がけして物珍しいわけではない。今も、結局は、自分の身体を使うしか、糊口をしのぐ手段を持たない人たちは尽きないのであるから。
尽きないからこそ、現在と重ね合わせて、もしかしたら、主人公と一体化して読む人たちもいるのかもしれない。
そんなことも考えさせられた。

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