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病歴37:アナフィラキシー

アナフィラキシーショックというと、そばとスズメバチが思い浮かぶ。
私が小学生の頃、母がスズメバチに刺されたことがあって、その時にアナフィラキシーショックという言葉を憶えた。次に刺されることがあったら、命の危険があるという文脈で教えてもらった。
その後、給食で食物アレルギーを起こし、命を落とした子どものニュースがあった。一件だけではなかったように記憶している。
おそらく、今はそういうことはないと思うのだが、当時はまだ、給食は完食させることが教育で、その後、食物アレルギーへの配慮がなされるようになっていった。

これまで、私が受けてきた抗がん剤治療は二種類の薬剤を併用してきた。それが、パクリタキセルとカルボプラチンだ。
点滴の最初にステロイドでアレルギー反応をおさえ、抗がん剤2種類を入れた後、生理食塩水を追加して終わる。
容量は全部で2リットルぐらい。流すのに4-5時間かかる。

抗がん剤治療の初回は入院で行う。それは、人によっては、薬剤に対してアナフィラキシーショックを起こすことがあるからだと説明を受けていた。
そもそも、ステロイドをがんがん入れながらやるのに、それでもショック状態を引き起こすことがあるのだから、やはりしんどい治療ではある。
アレルギー反応を起こしたら顔のほてりがわかるように、だから、当日は化粧をしないように、注意もある。
特に、カルボプラチンは回数を重ねるほど、アレルギーを引き起こしやすいとも聞いていた。

今年8回目の抗がん剤治療。
いつものようにタクシーで病院に向かう。ドライバーさんが身内の方が同じ病院で抗がん剤治療をなさっているそうで、端々に配慮を感じてありがたかった。
そういう小さなひとつひとつに、ついている日、ついていない日と判じたくなる。
前回は、なかなか点滴の針が刺さらず、途中で看護師さんが交替し、腕も左右を変えて、3度目でようやくうまくいった。それはあんまりついていない日。
できれば、今回はついている日でありますように。

採血は右腕から。これは問題なく、終了。
体重、血圧の測定。
看護師の問診。
婦人科医の診察。
今回からはQOLを維持するために、タクリパキセルもカルボプラチンも量を減らすことになった。
院内のコンビニに、昼食を買いに立ち寄る。
いつもは、ちょっとだけベーコンとチーズがのった小さな蒸しパンとジャスミン茶にするのだけど、この日はおにぎりも気になった。
朝もパンだし、夜もパンの予定だったので、昼ぐらいは米にする…?と迷ってしまったのだ。
それで、枝豆と昆布のおにぎりも追加で買う。お茶はやっぱりジャスミン茶。
それから化学療法室へ。

以前とは違う場所に針を刺すんだなぁと思いながら、今回は左腕に針が入る。
抗がん剤の点滴は前腕に挿すのだけれども、これがなかなか針が入る時に痛いことが多い。
看護師さんたちもわかっているので、腕をよくあっためて、血管をわかりやすくしてから、一気に刺すことが多い。
それが左右ともに、血管がわかりにくいとか、細いとか言われることが増えてきたので、患者としては今後、どうしたらよいのだろう。
血管を太くするのって、運動になるの…?

いつも通り、抗アレルギーのための薬剤から点滴が始まり、ほどなく眠気がやってくる。
ステロイドで眠くなり、その後、抗がん剤のアルコールで眠くなる。そういう二段構えの眠気であるので、お昼寝の日と決め込んでいる。
それぐらいに考えていた方が、自分が気楽だから。
ほかのベッドからも、寝息や寝言が聞こえてくるのが化学療法室だもの。

だいたい、眠気がひと段落つくのが、いつも、12時半から13時頃だ。
トイレにも行きたくなるし、なんとなく目が覚める。
もそもそと動き出して、空腹感はないけれども、時刻も時刻なので、買っておいた昼食を腹に入れる。
おにぎりとパンの両方を食したのは、やはり食べ過ぎだった気がした。
点滴の前に吐き気止めをもらってはいたが、胸やけというか、むかむかしてくる。これはよろしくない。

午後に入ると、パクリタキセルからカルボプラチンに薬剤が入れ替わる。
午前中のような圧倒的な眠気はないが、起きていてもやることはないので、横になって眠気を呼び戻そうとする。
スマホはいつも枕元に置いていたりするのだけど、私は両手を使わないとなにもできない。
点滴を刺している腕に力を入れると針の存在感が痛いので、じっとしているのが一番なのだ。
吐き気もあるので、仰向けになれずに、右向きになってみたり。
なんだか、気持ち悪くて、落ち着かない。

そうこうしているうちに、手が熱く感じた。
熱が出てきたのだろうか。顔が火照ることは、ステロイドでよくあるし、これもそうかな、と思った。
が、掌がかゆい。熱くて、かゆい。
冷たいものを持ちたくなった。冷やさないと、掌がかゆくて気持ち悪い。
起き上がって探してみるが、ちょうどよく冷たいものがあるわけではない。
ジャスミン茶のペットボトルも、室温のぬるさになっているし、かゆみを止めるほどではない。
自分の掌を見てみると、ずいぶんと赤くなっている。
これは、おかしいんじゃなかろうか。

ナースコールというものを失念しており、看護師さんが隣のベッドの方を世話をしに来られたので、「すみません」と声をかけた。
そして、ここからが大騒ぎになった。

その場にいた3名ぐらいの看護師さんたちが、ベッドを取り囲んだ。
彼女たちが薬剤を中止する人、主治医に連絡を取る人、オキシメーターをつけたり状態を確認する人など、手分けして対応をしていたことを憶えている。
カルボプラチンに替わったばかりで、20ccほどが既に点滴されていたらしい。
その薬剤を中止して、生理食塩水に交換になった。
その間にも、吐き気がだんだんと強くなっていった。
気持ち悪くて仰向けになれず、右側を下にして体をくの字に曲げる。
食べすぎたという反省もあり、いっそ戻してしまえば楽になれるのに。トイレに駆け込みたかったが動けない。
看護師さんが差し出してくれた膿盆にえずく。
なにも出ないし、込み上げてもこなかったが、えずかないといけないぐらい、息ができていなかった。

やがて、主治医が来て、話しかけられたことは記憶しているのだが、どう説明を受けたのか、あまり憶えていない。
アレルギー時のための薬剤を点滴に追加するよう、指示があったのは憶えている。
点滴に、注射で薬剤を追加していたし、そんな風な説明があったような気がするから。

タクリパキセルも減量されていたし、カルボプラチンが中断になった分、いつもより早めに点滴が終わり、針を抜いた時にはほっとした。
いつもならそのまま会計をして帰ることになるが、この日は看護師さんに付き添ってもらいながら、再び婦人科に戻ることになった。
主治医と、今後についての話し合いをしなければならないからだ。

今回は、ショック状態にはならなかった。それは、早めに症状を訴えたので、ショックを起こす前に対処できたからだ。
アナフィラキシーを起こしたので、今後、カルボプラチンは使用することはできない。
そのため、腫瘍が小さくなっていく間はパクリタキセルのみで治療を継続していくことになった。

こう思い出そうとすると、意外と自分の記憶が希薄で、それぐらい意識が遠のきがちだったことに気づいて驚く。
とりあえず、今日も生きている。
よかった。

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