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蘇我の娘の古事記

周防 柳 2019 時代小説文庫

今からおよそ1400年前の物語。
緑豊かで穏やか、自然の美しい奈良を舞台に物語は紡がれる。
今も残る地名もあれば、時の流れのなかで形を変えた地名や、失われた地名もある。
でも、これは、この土地に刻まれた物語。こうであったかもしれない物語。
こんな人々が生きていたのだろうと、こんなことがあったのかもしれないと、思いを馳せる扉を開く物語。

日本書紀の成立以前に編まれた国記や天皇記に関わっていた、船恵尺という人物。その子どもたちが主人公となる。
彼らは百済から渡来人であり、史として、文字や歴史を大事にする、文化を大事にする人々として描かれる。
時流を見ながら流されながらも、大きな権力を持つよりも、平和に一族を存続させようとしている人々だった。

恵尺の娘コダマは目が見えぬ代わりに、抜群の記憶力を持って、物語を聞き憶えていく。
恵尺は恵尺で、娘を不憫に思い、出雲や日向といった辺境からも、物語を語る語り部を招き、一族と共に聞かせる。
テレビやネット、映画のない時代の、余興が物語だった。ニュースであり、教育であった。
権力に制圧された人々の歴史も物語に織り込まれ、彼らの恨みや悲しみ、矜持もひっそりと伝えられていく。
物語り変えられながらものがたられていく。

戦も多く、人の命がたやすく失われる時代だった。
コダマと、その兄ヤマドリの二人は、時代とは無縁に生きることは許されなかったが、彼らの美しい交流は時代を超えて、胸に迫る。
兄妹か、妹背か。彼らはイザナギとイザナミとなる。

この物語は、口伝の伝承を折り挟みながら進められることで、素晴らしい解説にある通り、「歴史と伝承が、現在と過去が、文字と語りが往還しながら一つの世界を創り上げているような感覚に誘い込まれる」。
重層に語られることで、ぼんやりとしてさらさらとしていた飛鳥時代のイメージの中がかき混ぜられ、だんだんと活き活きとした生活や生命の手ごたえのようなものが感じられ、心の中に、ホタリ、ホタリと、美しいものが雫を垂らすのだ。

物語を語ることは、ただ伝えるだけではない。
そこに物語を残すことで、かつてあった人々の魂を慰撫する。
その物語に我が身を重ねることで、今ある人々の魂も慰撫される。
そして、その物語を語ることで、人は自分の魂を慰撫することもできる。

ぶあつい一冊だが、本屋さんでぱらぱらと見て、これは読まねばと思った。
奈良からの帰り道に読み始め、読み始めてみると物語に引き込まれた。
物語を織りなす自分自身の仕事と重なり合うことが多く、魂を慰撫しながら、守秘義務のもとに伝えられずに消えていく物語の多くを思った。
その人と私の間でのみ共有される、数多くの物語のことを思った。
彼らの魂が慰撫されるような、そんな物語を紡ぐ作業を共有していきたいと、思った。

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