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書籍『不思議カフェ NEKOMIMI』

村山早紀 2023 小学館

どうしよう。どうしよう。どうなってしまうんだろう。
本を読みながら手に汗を握る。
心配で、どきどきして、一旦、本を閉じて、ふーっと息を吐く。

最初のたったの30ページ。
主人公と一緒になってどきどきするような、主人公が心配になってどきどきするような読書を、久しぶりに味わった。
こんなに真剣にどきどきするのは、もしかしたら、子どもの時以来ではないかと思うほど。
心配になりすぎて、先が読めなくなった。デジタルで拝読できるゲラでは。

改めて、紙の本になってから、「これはまだ物語の序盤」と自分に言い聞かせながら、先に進んだ。
そして、びっくりした。この先、どうなるの!?
魔法の始まりは、そんな風に先の読めない始まり方をしている。

律子さんとメロディ。
リズムとメロディは一体となって音楽を紡ぐ。
時折、流れてくるのは、ショパンさんのピアノの音。
子ども達の明るい笑い声。軽やかな足音。小さな悲鳴。
聞こえない声で語りかけ続ける、人ではない者たち。

村山さんの小説には、お雛様が登場することがある。
村山さんが描くお雛様は、女の子の友達である。
女の子を愛し、女の子を喜ばせようとして一生懸命に旅をする、そういうひたむきな味方である。
彼らは小さな脆い体で、美しいはずの衣装をぼろぼろにしても、約束を守ろうと旅をする。
その様は愛しくて愛しくてたまらなくなる。

この本を読んでいた前後、母が、ふと、「なんで我が家はお雛様を飾らなくなったのだろうか」と問いかけてきた。
なにかきっかけがあったわけではないのだが、私の中にぱっと浮かんだことをそのまま答えた。
「私があまり喜ばなかったからじゃない?」

我が家には、お雛様とお内裏様の二人だけの雛飾りがある。
大きくてしっかりとした、古典的な顔立ちの二人だったように淡く憶えている。
ところが、私は幼い時から、人形というものが苦手であった。
お菊人形であるとか、人形といえば怖がらせる話を早くから聞かされていたようにも思うし、リアルになればなるほど、怖くて苦手だった。
人間と似ているほうが怖い。動物のぬいぐるみは好きだった。
キャラクターものは、まだ少ない時代であるし、裕福ではない我が家とは疎遠だった。
動物であるか、デフォルメされているといいのだが、人間に近いほど、怖い。電気を消したら動き出しそうで怖い。見られている感じがして怖い。目線が怖くて、苦手だった。
だから、お雛様も、あんまり好きになれなかったのだと思う。せっかく親が買ってくれた雛飾りだったのに。

それはまだ3月3日の前だったので、母が「飾ってみようか?」と言った。
何十年ぶりのことだろう。そもそも、仕舞い場所はわかっているのだろうか。
仕舞いっぱなしで、色褪せたり、しみがついたり、なにか汚れていたら悲しい気がして、それを見て確かめることはためらわれた。
だから、「うちには猫がいるから、やめとき」と返事をした。
猫が遊んで振り回してひどいことになってしまったお雛様の写真が、目に浮かんだから。

せっかく親が買ってくれた雛飾りだったのに。
あのお雛様とお内裏様も、私の友達、私の味方として、ずっと待っていてくれているのだろうか。
今、見たら、衣装の美しさに感嘆し、小さいのに丁寧に作られた顔立ちや手の細工に驚嘆し、にっこりとした笑顔で眺めることができるのだろうか。
村山さんの小説を読んだ後に、あのお雛様たちと出会っていたら、最初からわくわくしながら雛飾りを飾り、一年に一度の再会を喜べたのかもしれない。
そう思うと、大きな損をしてきたような思いがした。

世界は、にんげんを愛している。
村山さんの物語は、その愛に気づくきっかけをくれる。
だから、揺り動かされては涙し、優しい気持ちで閉じることができるのだと思った。

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