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病歴21:抗がん剤治療2回目の1クール目

2019年に卵巣腫瘍を再発し、手術と抗がん剤治療を受けたことの記録を書いておいたことは、今回の自分にとって、よい資料になっている。
だから、今回も記録をつけて行こうと思うのだが、見出しの管理が難しいものだなぁ。

さて、二泊三日と言われて入院したのが、再発が分かった二日後の水曜日のこと。
この記事では、その入院のことを記録しておこうと思う。

抗がん剤治療の1クール目が入院で行われるのは、アレルギーへの対策が必要だからだ。
パクリタキセルとカルボプラチンという二つの抗がん剤を一緒に点滴する治療になるのだが、施行した回数が増えるにしたがって、今までは大丈夫だったのに、急にアレルギー反応を起こすこともあるのだそうだ。
そのため、用心をとって、前回もだが、一回目の抗がん剤治療は入院で行われる。

再発がわかって、帰宅した日は荷物を作る気力もわかなかった。
抗がん剤を受けることになったため、月曜の夜からリムパーザは中止。そのことを行きつけの薬局にお知らせしたり、鍼灸院の予約をキャンセルしたり、職場に事情を連絡したり、仕事の調整をしなければならなかった。
火曜日の夜、仕事から帰ってから、慌てて荷物をつめた。
暑い日もあれば寒い日もあって、ただでさえ、着替えに困る季節なので、持っていく荷物もどっちに寄せたらよいか、大いに迷った。
どうせ、3日間だけだから。最低限の荷物と、ちょっと多すぎるぐらいの本を詰めた。

手術はしないので、肺活量の検査がない代わりに、月曜日のうちにPCR検査を受けていた。
御時世である。
それで問題がなかったので、予定通りに水曜日に入院。
日数も少ないし、人の気配が苦手であるし、今回も個室にしてもらった。シャワーとトイレもついているので、とても助かるのだ。
初日は、体重や身長の測定とレントゲンぐらいしかやることがなく、寝間着に着替えて本を読んだり、ごろごろと休養タイム。
看護師、薬剤師、婦人科の主治医と緩和ケア内科の主治医が、順番に説明に来てくださった。

抗がん剤の治療があったのは、木曜日。
吐き気止めを経口で服薬するところから始まる。
午前10:00頃、左手の橈骨に沿うようにして、点滴の針を入れる。
過敏症を抑えるための抗ヒスタミン剤や副腎皮質ホルモン製剤、吐き気止め、2種類の抗がん剤(パクリタキセルとカルボプラチン)、最後に生理食塩液と、輸液のパックを入れ替えながら薬剤を順番に点滴していく。
最初の抗ヒスタミン剤も眠くなるし、パクリタキセルにアルコールが含まれるので、これも眠くなる。
前回はパクリタキセルを3回に分けて、1週間に1/3ずつ点滴をしていたが、今回はそれを一括するので、ビールでジョッキ1杯ぐらいのアルコールに相当すると説明を受けた。
私にとっては、普段から、まず、飲むことのない量である。ビールも含めてアルコールは好きなのだが、すぐに気分が悪くなるし、量は飲めないのだ。
それを言うと、ゆっくりと点滴を落としましょうということになった。

途中、昼食が運ばれてくる。
食欲は出ないだろうと思って、じゃがいものポタージュスープを追加でお願いしておいた。
もともとの献立はおそばだったので、おそばとジャガイモのポタージュという組み合わせで運ばれてきた。
前回の入院時、退院間際に出されたおそばが美味しかったんだよなぁ。
と思うものの、食欲があまりわかず、そのスープだけでも食べることにする。

トイレつきの部屋でよかった。
途中でトイレに行きたくなったら、好きなタイミングで行けるし、部屋のなかだから近いし。
点滴スタンドをがらがらと引っ張りながら歩かなければならないので、距離というのは、意外と大事なのだ。

慌てながら用意したけれども、持ってきてよかったのが、香りに関わるグッズ。
枕用のスプレー式のアロマを寝具にふりかけるだけで、部屋の中が居心地よい香りになった。
ハッカ油はティッシュにしみこませて、トイレと水回りに設置。
アールグレイのティーバッグも、紅茶をいれるたびに部屋がよい香りになる。
使い捨てのホットアイマスクは、眠れない夜のために取っておくことにして、結局、最終日の御褒美になった。

輸液を交換するために、何度か看護師さんが部屋にやってきた。
うとうとしていた時もあったので、もしかしたら、その時に顔色を見に看護師さんが来ていたこともあったかもしれない。
ステロイドで頬が紅潮し、ほてる感覚はあったが、それ以外は発熱もしないし、大きな痛みもないし、ひたすら横になっているだけ。
針の刺さったほうの腕をなるべく動かしたくないので、本を読んだり、スマホで数独したり。
眠くなったら、また、寝たり。

点滴が終わったのは、16:30頃になっていた。
6時間!
ゆっくりと落としてもらったとはいえ、そうしなくても5時間はかかるらしい。
今後は外来に通院しながら受けることになるのか。
早起きを頑張らねば。

点滴が終わってすぐに夕食の時間になっていたと思う。
さすがに、ここからは少し食欲が低下した。
倦怠感や神経障害はすぐには表れないが、胃腸の具合がよくない。
吐き止めを飲みながら、食べられるだけは食べるのだが、太ることもちょっと気になる。
なるべく胃腸を動かすように、体力を落とさないように、ベッドの上でできる簡単な筋トレをして、腫瘍のあるあたりが痛くなるというばかなこともしながら、2泊3日だから明日の退院はどうしたらいいんだろう?と考えていた。

看護師さんに退院について尋ねられたら、そんなことがあるわけないと一蹴された。
私の退院予定日は、看護計画では日曜日になっていた。つまり、4泊5日の予定。
個室料が倍になる。予算を超える。ひぃぃぃぃっと、心の中で悲鳴をあげた。

それならば、下着も足りないし、汗もかいたので寝間着も着替えたい。
寝間着は病衣を借りたい旨を看護師さんに伝えると、すぐに持ってきてくださった。着替えてすっきり。
下着は石鹸で洗って、室内で干す。個室なので恥ずかしくないと思っていたら、お掃除の時に隠し忘れてちょっと恥ずかしかった。
タオルは3枚、バスタオルは2枚、持ってきていた。バスタオルの片方は枕代わりに使うが、タオルも部屋干ししながら使えばいいし。

手術後のような身動きの取れない状態ではないし、前回の抗がん剤の一回目のような激烈な不調にも襲われず、のんびりのんびりと過ごした。
結果として、ちょうどよいレスパイト入院になったのではないかと思う。
オルハン・パムクの『わたしの名は赤』の上巻だけでも読もうと取り組んでいたのであるが、舞台がイスタンブールなだけあり、コーヒーを飲む場面がちょいちょいと出てくることに困った。
美味しいコーヒーが飲みたい。缶コーヒーじゃなくて、美味しいコーヒーが飲みたい。
麝香のように薫り高く、シルクのようになめらかなコーヒーが飲みたい。
そればっかり、Twitterでもつぶやいていたような気がする。

だから、退院して帰宅した時、お見舞いにドリップパックが届いていたのを見て、涙が出た。
そのお心遣いがありがたくて、涙が出た。
今から早くて4-5か月。腫瘍がなくなるまでだからいつまで続くがわからないけれど、私は頑張れると思う。
励ましてくださり、支えてくださる方たちがいてくださるから。


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