やさしいって何だろう

 電車で座ろうとしたら、他の人がやってきて押しのけられることが度々ある。それに近いことがよくある人生を送っている。
昨日も、電車で目の前に座っていた人が降りたので、座ろうとしたら、ちょっと離れたところにいた女が、体をねじこんできて座った。わりとムカついたので顔をじっと見ていたら、すぐに寝始めたので、それでもずっと顔を見ていたら、いろんなことが思い浮かんだ。
自分こそが優先されるべき、自分こそが一番、自分がこうしたいから、他なんてどうでもいい。そういう人も、家族に愛されていて、一番かわいいとか思われてる。恋人に愛されていて、大切にしたいとか思われてる。友達にも、〇〇ちゃんといると楽しいとか、〇〇ちゃんはやさしいね、とか言われてる。本人もまんざらでもない感じで、愛って最高!友情って最高!私みたいに慈悲深い人間なかなかいないよね、とか思ってるかもしれない。他人のことはどうでもいい、自分は得したい、そういう人でも人間関係築いたり、給料もらったり、部屋に友達と行った海外旅行の写真飾ったりしてる。
それって一体どういうことだろう。

 世の中にはそういうやさしい人がいっぱいいて、駅のホームで具合が悪そうにしゃがみこんでいる人を、やさしい人たちが一瞬ちらっと見て、過ぎ去っていく。え〜かわいそう、私はやさしいから同情しちゃう。でも私はやさしさレベル、足りてるから、助けなくても平気。助けなくたって十分やさしいもん!そんなことより遅刻遅刻〜!なんてやさしいのだろう!
さりげなく、誰にもアピールせずに、正しいことをしている人を見ると、やさしい人は同じことをして周りにアピールする。SNSにもアップする。そして、大勢のやさしい人たちが、その感覚、よく分かる!私も同じこと思ってた!なぜなら私もやさしいから!といいねする。一体どういうこと?
カバンや肘で力いっぱい周りの人を押してるおじさんが、娘や孫のためにケーキを買って帰る。なぜなら世界一やさしいパパ、やさしいおじいちゃんだから!
列に平気で横入りする人が、やさしい歌を歌って、人を見下して挨拶しない人が、やさしい音楽をつくって、人の時間を奪って自慢話をする人が、やさしい小説を書いたりしている。それをやさしい人たちが楽しんで、やさしいが広がっていく。
それって一体どういうことなんだろう。本当に。

 やさしいって何だろう。

 人の気持ちがわからなくても、人のことを振り回しても、人を嫌な気持ちにさせても、やさしいということにすればそれはやさしいなのかな。
本物のやさしい人は、決して出しゃばらないから、ますます自称やさしい人たちがやりたい放題好き勝手して、のさばっている。彼らにとっての、愛や友情なんて、程度が知れてると言われれば確かにそうかもしれない。でも、そうだとしても本人の幸福度や満足度が高いとすれば、それは紛れもなく幸せなんだろうし、なんだかモヤモヤする。

 ずっと誤解していたことがあって、それは、つらい経験をした人は、やさしいに違いないということで、ずっとそう思っていたんだけど、最近必ずしもそうとは限らないということがわかった。親がいなくても、病気を患っていても、人の痛みがわからない人間もいる。かなりの衝撃。
そうなってくるとまた話が変わってしまう。つらくても、損しても、きっといいことあるし、人間的にも成長できる、みたいな言葉で自分を励ますことができなくなる。

 真面目に、なおかつ自分を後回しにして生きてる人たちが、自称やさしい人たちよりも得していることってあるんだろうか。本物のやさしい人は、損をすることが山ほどあって、それでもやさしいやめますということにもならない。考えるより先に勝手に動いてしまうし、損得で動くようなこともない。だから心を痛めても、ああ…と思いながらも生きていくしかない。

 いいことがあるとすれば、それは、そのやさしさが、誰かの役に立ったとき、同じやさしさを持つ人と出会えたときに、自称やさしい人たちは知ることのできない気持ちになれるということ。あとは何より、めちゃくちゃかっこいいということくらいかな。

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