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北野映画の魅力をこけしから、紐解いてみよう


私は北野映画をこけしだと思っている。
直立不動の隙のない乙女。今回は、私なりの北野映画の魅力をこけしを参考にして、解説していこうと思う。

まず、初めに殆どの人はこけしの魅力そのものについて知らないと思うので、それを先に片付けることにしよう。結論から言ってしまえば、こけしは
『俳句の人形』といわれるくらいに、【間】を感じさせる人形であり、かつ、こけしに複雑な魅力をもたせているとも言える。
こけしは木地に鮮やかな模様が施され、頭と胴体だけで構成されている至ってシンプルな人形である。基本的には手足が省略されて描かれていて、中には、キナキチ(南部系こけし)のように、何にも絵づけがされていないものまである。

引き算の美の究極形

まさに、『高度に抽象化された美』であり、【引き算の美】と言えよう。引き算されたものには[語らない美しさ]が生まれる。それこそが、北野映画最大の魅力の【間】なのであろう。さて、ここいらで一つ、岡潔著「春宵十話」のとある一節を引用したい。

〘日本語は物を詳細に述べようとすると不便だが、簡潔に言い切ろうとすると、世界でこれほどいいことばはない。簡潔ということは、水の流れるような勢いを持っているということだ。〙

岡氏の類稀なる文才を感じられるこの一文で、これぞ、こけしもまた然り、北野映画の真髄が天下一品に記されていると思う。
簡潔から生まれる勢いなのだ。シンプルながらもどっしりさを兼ね備えいているのだ。しかも、それは日本のリズムでないとできないのだ。だからこそ、海を渡って北野映画は高い評価を得ているのだ。
それとは対照的に黒澤明監督は万国共通のリズムで映画を撮っているから、足し算方式でなのである。
黒澤監督と北野監督の違いはここにあると思っている。

足し算方式の黒澤明

最初にも言った通り、北野映画はこけしであり直立不動の隙のない乙女なのだ。特徴的な【間】から生まれるどっしりさには他者には真似できない北野武だけの不可侵領域を作り上げている。しかし、彼の中のどこか茶目っ気のあるところはなんともチャーミングな乙女を連想させる。
これこそが、私が北野映画をこけしと思う所以なのだ。


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