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江戸時代は男尊女卑なんて~真っ赤な嘘!

幕末および明治維新の資料データをみれば
当時の日本の総人口はおよそ3000万人
90%が平民で農業などの一次産業従事者が
なんと80%ほどで、商工業従事者が10%
ほど、そして武士や僧侶や公家などが10%
とザックリした区分になる

江戸初期の江戸の人口は15万人
京都が30万人で大坂が20万人というから
初期の江戸は寂しかったようだ

それが天保の改革の頃に最盛期を迎え
江戸人口は130万人を記録しているので
200年で大層な隆盛ぶりを示している

江戸は城下町で城下の境には門塀があり
門番が常駐していた。城下町住むのは
武家、貴族、僧侶、そして商工民などに
なるので職業別の人口比率では20%に
該当する。総人口3000万人のうちの20%は
600万人。そのうちの100万人が江戸住まい
となれば完璧な一大都市で当時世界一の大都市だった
というのも容易に想像できるのかもしれない

その江戸人口の男女比率は1.8対1だったという
つまり男2人に1人は独身という悲惨な状態だった
これで「男尊女卑」などありえない!!

江戸の町民は長屋暮らしだった
水道はあったものの料金が高いので長屋の井戸で
炊事した。水場は女性の社交場で、さらに水が高い
ので銭湯に行く。女性は社交場が多くあったわけだ

炊事といっても朝晩そして昼間時に売り子が
長屋を回っていたので、買ったものをそのまま
食卓に出す。掃除といっても4畳半に3人~4人が
住んでるのでちょっと掃くのに時間も手間もいらない

つまり男は朝から晩まで外で働くが女は結構な
時間を持て余していたわけだ。そして昼間の長屋には
誰もいない。気の合った男を連れ込んで励んでるときに
旦那が腹痛で帰ってくる・・・なんてこと結構あった
ようだけど、ここで女房に文句の一つも言ったもんじゃ
逃げ出されては困る~と、完璧に女尊男卑だ!

武家では三行半という離縁状があり
また姦通罪という罪が女房には定められていた
などから男尊女卑と小説や映画ドラマでは決まっているが
これも逆だったようだ

これについては、別の機会にする


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