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福音のアンソロジー


生きる音

心に触れるのは心から出た言葉。
魂に触れるのは魂から出た言葉。

言葉は、歌でもあり、形であり、音である。
時には 多く語らないことが言葉だったりする。
余白のなかにあるものに 本当に伝えたいものをみる
言葉を語るのは、語り尽くせないものを
集約させようとした試み。
それもまた生きる道と様であり美しい。

言葉を敷き詰めたり、あてがったりする時間が生きるということなのかもしれない。それさえも包んでいる余白、集大したいのち。それを真ん中で感じて広がるのは切なさに似た美しさと感動。 きっと。人の中に瞬く彗星とその奥底にある永久を見ている。


赦しのゆりかご

生きる中で、私は強い、弱いを体験する。
多くの中で、強さに対しては「思う」ことで。
弱さはに対しては「感じる」ことで。
感じることは弱さを体に広げてくれた。
その時、誰かに何かを贈ることはできない。
ただ、その無力さの中に、包まれていた。

—生存の最も奥深い、存在として。



心が痛んだ時や人生の転換期に
あらわれてくる恩寵は、

見えたけれど素通りしてきたものや
見過ごしてきたものの中にある。




理由ない胸の明星

夜気温が下がるコンクリートの道を歩きながら出ていない星を確かに見た。靴下は濡れ、雨で大きなビニール傘は打楽器になった。0時には街灯は消え、駐車場の看板と自動販売機だけが光っている。そんな静かな町に、わたしは好んで住んでいる。雨と暗闇の中、胸は高揚し滲んだ。 




いとしのプレイス

生きている。目の前ではなくとも、少なからず、生きている。生きているだけでいい。そんな言葉が私から出るも、生きていることを許可するなんて出来ないことを途端に知る。壮大な謎があらわれているこのこと。あなたが生きている。わたしが生きている。この世界で呼吸をしているこの奇跡に安らいでいる。形に恋をしても、愛を注いでも、嫌っても、見つめ合う目を外しても、どれでもどちらでもいい。ただ、あなたが、私が、なにかしらの縁起で生きているということ。このことをただ、見つめていたい。


泡立つ奥まで

騒がしく表象する。掻き鳴らすギターのように耳を弾く。人々を心酔させ、地に響き、彼方まで届くその音を奏でるきみを知るには、もっともっとで入水する余地があるのだろう。わたしは全てを水に浸して。その奥に広がる音はきっと、掻き鳴らす雷よりずっと静かに、ひろく広がっているとおもうから。





鯨とホール 

言葉は発することで始まる。「はじめに言葉ありき」と常々聞いてきた。私には、言葉は出口のようにしか感じられない。初めの入り口は、色も音も言葉もない静寂。そこから光風とともに射し、通り流れ、穴から吹く風が言葉なのだと、原初の命なのだと。どちらも穴が空いている。その穴にこそ神が生まれた、歴史が生まれた、私たちの謎が、隠れている。





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