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知性とエロス

身体と一致して感じること。


無機質だった思考性が、
この度、官能的な知性になっている。


知性が、感性と結びついたらそれは芸術だし
儚く大切にしたいものとなる 

知性が、時代と結びついたら
それは近代商業や文明を感じてスマートだし

知性が、生きる根底や命と結びついたら
最高ですってなる。単純に好みなのだ。

生命という実存や実体そのものダイレクトに知性が結び付いている。椎名林檎、岡本太郎さんたちに感じるものである。

 

わたしにとって知性とは「結びつける意図」である。
その作用として「生命(有機体)」がある。

その知性、すなわちその方のインテリジェンスがどこに向いているのかは私にとって非常に重要で、何を語っているのか何を持って何を知っているのかなんて最終どうでもよく、その知性の結びつきの先や奥を見てるところがある。無機質と生命どちらへ向かうんだ、何があるんだ、みたいな。

興味と真髄は、
「ねえ、あなたの知性は、何と結びついてるの?」この一言に集約される。

結びつける意図に相手の原初の光が顕れるのを知っている。その原初の意図こそ、さまざまな、その人の成り立ちと形を決めている。その不変さを、知性の結びつきによって感じている。

知性って単体一人歩きしない。それは知性が有機的であるからだ。思考は一人で歩き出す。故に思考は無機的に感じる。

思考のもっぱらのやりとりは情報たちをどう貼り付けるか。それは思考術であり、ライフハックであり、その人の(部屋の)整理術である。出逢っているのに、部屋の整理術を聞いてもそそられないのはその部屋の住人になり得ないからでもある。そして術やノウハウを聞いてもその相手の実体がわかるわけではない。言動の起点に想いを感知することができていてももっとふくよかには難しい。知は、術ではない。知は、知そのものが有機体として機能している。

わたしは知性に、生命を感じているのだ!

わたしは知性の奥と、先と、結びつき。
その知性を支え映し出している総母体をみる。

健気さや情を感じさせるものもあれば、なんで崇高な..というものに出会うことだってあるし、おお..なんたる物理的力強さ..と圧倒されることもある。知性の総母体をみる。そこにあらわれるものが実は、知性より上位のその人の性質に近しい。そこから現れている影が知性でしかないと思っている。ミクロマクロが伸びて、収縮爆発して、感じられるのです。ここまで来ると知は香りでしかありません。香り立つ麓に出逢いがあるのだよ。香りが先なのだ。

そしてただただ知性に酔う受動性と、その知性の奥先結びつきを見て堪能したいという能動性とがある。その双方の動き。これが女性性、男性性ともいえる。これも知性にもあらわれる。

これが知性だけで繰り広げられるとただのワインですが、やっぱりね。サピオセクシャル。
私の知性官能を起こすものは、知性と生きる根底と底抜けの生命とが結び付いているものだ。

そんな時対照的なそれは照らし合って最高にセクシーなんだよね。生命と知性との結びつき。私の知性は明るく命が躍動することと結びついている。

意味も、価値も、生命に付いていっている。従っている。その生命の、わんぱくな暴君さが愛らしい。わたしの中で生命と知性が結びついた。それは身体が仲人です。さて、今と最果て、なにと結びつくのか。


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