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ストーリーの終焉へ

人間を辞める退職届を誰に出すでもなく自分のために書いた。そこからはや5年が経つ。

その時、辞職、離婚、家がなくなるという怒涛もない流れから決意した其れ。

ひとと関わりながら、コアをを保つこと、忘れないこと。自分の中にあるものをコンテンツ化すること。
表現をしていくこと。日本の土地と繋がること。
色々あった。特に、2022年は愛着や魂のカルマプログラムの自覚の総仕上げだった。

宇宙の共に生きる、天に任せて生きる、と決めたあの日から、今日を迎えている。

魂が露わになる。
それは愛を抑えない、抗わないということ。

恐れと愛ならば、魂を選ぶときそれは自動的に愛を選ぶことに至る。魂と愛は連動している。

その中で、最後の最後、わたしのなかにあったものがあったものとして出てきた。慕う気持ち、執着、思うことがままならないことの悲痛さ。それらが出てきた。過去を集約したような、自らの嘆き。

抑えていたものがあらわれた。みぞおちが震えて涙が滴る。自分のものでは無いように身体の反応が先にくるのだ。手を合わせながら腰を立て瞑想と同じような姿勢を取った。それは、どこか神聖なものとして感じられた。“あぁ、もう本当にドラマが終わる”と予期した。魂は知っていて、見守っていた。 鉛筆で塗りつぶしたようなストーリー。以前は混沌とした状態でしか感じられなかったものが、宝物のように感じられる。そのストーリーから大切な玉のような輝きが抽出された。これは次元や時空を超えて感じる体感なのだと知っていた。

愛させてくれてありがとう。受け入れてくれてありがとう。私の世界に現れてくれてありがとう。わたしは魂を感じている。不思議な縁起で起こり感じる様々なこと。人間で、この時代、出会えたこと。感情の悲痛さも淀みも混乱も怒りも全て体験させてくれて本当にありがとう。そんな想いでいっぱいになった。これから入水していくことを直観している魂。

本当の意味で、大人になること。
愛を抑えないこと。
自分の意志で立つこと。
本当の意味で愛に生きること。

雛鳥は時間が経てば飛び立つ。飛びたく無い、この巣から出たく無いと思っていても、目をつぶり見て見ぬ振りをしても、その時は来る。
目覚めたい、のではなく、目覚めの中にいる。
その事実に、まるで命が終わるときのように安らかさを感じた。何か終焉を迎えるとき安らかだ。本当にそれを包むことができたなら。

ストーリーの中にあるものをあるものとして祝福したら、そのマーヤは梯子になった。それは、わたしを活かす。それは生命の発露を促すものとして変化する。

肉体を持っていながら、経験ができる。
意識の身体と、唯物の流れの中でこれを体験できる。
生きているということがさらに尊くなった。

えんえんと癇癪を起こす幼子は、大人になろうとしている。むしろ、その本来の姿になりたくないと駄々を捏ねていた。過去の数々を物言いに出して。

最前線を生きる人たちは少なからず、この最中にいたことがあるのだろう。凄いなとおもう。今日だけは、無いと思っていた、感じることができなかった数々に寄り添いたい。

その中でも魂は揺らがず、見守り、一貫として有り続けている。しっかりと先を見据えて。


太陽星座も月星座も山羊座のわたし。
先日、冥王星が山羊座を抜けたのも私にとってとても大きいシンボルになった。

これからの風が吹いている。
解釈も歪曲もせず生きる追い風が、吹いている。

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