夏のアンソロジー
狂ってもいい。そんな言葉をかけられた時、磁力と重力とわたしが引き離されるような感覚になる。原初、生命に還れと言っているんだろう?その引き離し垂らされる一滴の聖水は、間違いなく清らかなのに。
肌に触れたいの。一番外側の貴方だから。
だから好きなの。
触れられる、唯一の貴方の心だから。
豊満な生命を注ぎ込む。
このこと以外何があるのか。
原始的な身体と、空洞が開いて全てが恩寵として感じるハートと、水が張られたような意識が創り出している。それを今、わたしと呼ぶ。
生きる夏。それが我々なのだ。
生命の保証をかけて、文明を作って、無力さが明るみになる頃、私たちは両手を見つめて震えるんだ。
我々は夏だった。夏である。夏なのだ。
ひとしきりに鳴く蝉はそれを年に一度、生涯を教えてくれている。
男性たちは光を放ち、女性たちは愛を結う。
光るさきへ向かうのはもう十分。
結うのは愛。愛ではなく結うことに女性そのものがあるのではないだろうか。紡ぐことに、女の。
縫い目には女性の健気さが隠れている。
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