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L-TRIPインタビュー企画 #3-2(中編)『肺移植と社会』

本記事は前編・中編・後編の3部構成の中の「中編」となります。
▼前編▼


ゲスト:nasubi365さん
30代男性。高校生の頃から特発性間質性肺炎に罹患し、30歳で脳死片肺移植を経験して、現在は酸素不要の生活を取り戻している。移植前まではリハビリ関係の仕事をしており、現在は体調に合わせながら在宅でPCを使って働いている。



5. 肺移植の連絡は突然に

— 移植待機登録をしてから実際に移植までの流れをお伺いしたいと思います。最終的に30歳で移植されたとのことですが、待機期間は何年くらいでしたか…?
最初に移植登録をしてから移植までは、約3〜4年くらいでした。先に申し上げた通り、病状の進行が遅かった時期があって、一時的に移植待機登録から外れているため、平均よりもやや長く見えるのだと思います。

この間は、幸い大きな急性増悪*を起こすこと無く過ごす事ができました。リハビリ現場で働いていたのもあり、一般の方よりも感染には気を遣っていたので、それも功を奏したのだと思います。

*急性増悪:間質性肺炎は慢性の経過(ゆっくりと進行する)を示します、風邪等をきっかけに、急激に呼吸困難が出現し症状が悪化することを指す。急性増悪で亡くなる方も少なくなく、治療中はいかにこれを防ぐかが重要となる。

— 移植を受ける頃にはどのような生活をしていたのでしょうか。リハビリのお仕事などはどうされていましたか?
リハビリの仕事自体は、移植の約1年前頃にやめていました。転職活動をしようと思ったタイミングで咳などの症状が悪化してしまい、コロナ禍の影響もあり、少し落ち着くまで在宅での仕事をしようかなと考えている間に、移植の順番が回ってきたという形です。

移植以前のご様子(本人ご提供)。
この頃は酸素を使用して生活をしていました。

— 順番が回ってきて、移植の連絡が来た時の話をぜひ教えてください。
実は在宅の仕事の面接を予定していた日取りで移植が決まったんです。面接の前日の夕方に病院から電話があり、ドナーになりそうな方がいること、移植を受ける意思があるかの確認がありました。その時は待機の順番が1番目ではないとのことで、再度連絡をいただくことになりました。

結局、その夜20:00頃に電話がかかってきて、今回移植を受けられること、翌日以降のスケジュールについて簡単な説明がありました。本当にバタバタでしたね。

— 脳死のドナーさんがくることは当然ですが急ですものね。ある程度移植入院に対する準備等はされていたのですか?
登録後ある程度経った時点、特に私は一度待機登録から外れて再登録になった頃には、症状が進行していたこともあって、移植手術になった際の自分の動き、家族の動きは話し合っていました。状況が変わることもありましたが、事前に決めておいて良かったなと思います。荷造りも簡単にはやっていましたが、入院してから病院の売店で揃えた物も多かったです。

— 他の移植を体験された方も、備えは非常に大事だと仰っていました。


6. 移植前の心境

— 答えづらい質問でしたら申し訳ございませんが、移植が決まったときの心境はどのようなものでしたか?
大手術ですので、当然ながら「怖い」という思いはありました。ただ、入院のための準備に追われて、ゆっくり考えて自分の感情を変化させている暇がなかった、というのが正直なところです。連絡を受け、荷物を詰めて、寝て、朝行く、ということを腹を括ってこなしていました。

— 準備に追われるとはいえ、私だったら冷静にいられるだろうか…と考えてしまいます。移植に関しては、ご家族にはお伝えしていましたか?
事前に話してはいましたが、やはり移植となると家族は大変そうで焦っていましたね。どちらかというと私が家族にやってほしいことを指示出ししている感じで、家族よりも自分が冷静でいなくちゃなという思いでした。

— ありがとうございました。ここからは、移植後のことについても伺っていきたいと思います。


7. 肺移植直後の生活

— 移植直後についてはどこまで覚えていらっしゃいますか?
起きたときは意識は朦朧としていて、看護師さんに声をかけられて色々と意識確認のための質問されたこと、人工呼吸器等の管がたくさん繋がっていたことは覚えています。そんなことをしているうちにまた眠くなる、という感じです。

— 人工呼吸器はどれくらいつけていらっしゃったか覚えていますか?
私が思っていたよりかなり短く、1日か2日で外れました。そこからは鼻から酸素を入れて自発呼吸になり、あっという間にベッドから起き上がり*、手術後5日目くらいには20mくらい歩いていたようです。1ヶ月弱で退院する事ができました。

*ベッドからの起き上がり(離床):主に手術後などの患者さんがベッドから起き上がって生活の範囲を広げることを指すが、一般的にこれが早い方が合併症などの防止に繋がる。

— 想像よりもかなり早いことに驚きました。歩いて自分の肺で呼吸してみると、移植前と違いがわかるものなのでしょうか。
正直なところ、よくわかりませんでした。移植直後は意識はやや朦朧としていましたし、ベッドから立つようになっても呼吸ってあまり意識しないので、「肺が変わった!」とはわかりませんね。また、移植時点で「酸素を大量に入れないと全く動けない」というほど悪い状態でなかったのも、明確な違いが言えなかった理由かと思います。


8. 退院後の生活

— 退院後の生活についても伺っても良いでしょうか?
一人暮らしだったので家事から始めて、近くに住んでいた母に助けてもらいながら、少しずつ負荷を増やしていきました。通院間隔も1週間に1回、2週間に1回、1ヶ月に1回、と順調に増えていきました。

— 移植直後、呼吸だけを見ると違いがわかりにくいと仰っていましたが、日常生活に戻ってみると、移植前と比べた変化は感じましたか?
それはありました。やはり酸素が不要になることは大きいです。移植前、酸素があるとどうしても移動や体を動かす上で制限があり、外出のハードルが高くなってしまいます。また、趣味の音楽もやりづらかったです。何より、友達と一緒に遊びに行っても自分だけしんどくなってしまうので、なかなかハードルが上がっていました。

移植後、酸素なしで旅行に行けたとき、キャッチボールが友人とできた時などにふと「自分は本当に良くなったんだ」と感じましたね。できていなかったことが再びできるようになるのは本当に嬉しかったです。

移植後の旅行先の一枚(本人ご提供)。
酸素無しで外出できていることを実感したそうです。

— 酸素が外れたことで、人によっては見た目の意味でも外出のハードルが下がるという声も聞きますが、nasubi365さんはいかがでしたか?
正直、自分の年齢で酸素をつけている人はほとんどいないので、周りの目を感じることはあります。ですが、一人暮らしで、買い物など自分でやる必要があったので、気にしている余裕がなかった、というところでしょうか。近所のカフェや図書館にも普通に行ってました笑。

また、鼻まわりについては、コロナ禍の関係でみんなマスクをしていたというのもあると思います。

— nasubi365さんの場合は元々アウトドアな方であるというのもあり、外出のハードルが高くなかったのかもしれませんね。ちなみに、移植後のお仕事はどのようにされていましたか?
実は、移植後には一度正社員として働き始めたのですが、やはり負担がかかって体調が悪くなってしまい、一度退職しました。現在は在宅ワークが可能な形で、体調に合わせて働きながら生活しています。それでも、移植前よりも色々なことが楽になったのは確かです。

— 肺移植を経験され、働きながら生活されているというのは、患者さんや私たち患者家族にとっては本当に希望です。

(後編『9.治療中の困難とその乗り越え方を振り返る』へ続く)


進行・編集:名倉慎吾
L-TRIP発起人。薬剤師。 2020年に東京大学薬学部を卒業後、2021年に大阪大学医学部へ学士編入学。ALLと間質性肺炎の患者家族であり、医師を目指して勉強に励む。間質性肺炎や肺移植に関する情報格差を少しでも減らしていきたいと考え、L-TRIPを発起。


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