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舞台制作…辞めました!

舞台芸術のマネジメント職…の中でも、「制作」と呼ばれる職業があるのですが、わたくしこの度、その職業から離れることに決めました。大好きなこの業界をいったん離れ、転職活動をし、さっそく別の業界で新しい仕事をスタートさせました!

自分自身の備忘録としても、わたしにとって「制作」という職業はどういったものだったのか、どういう苦悩があったのか、どういうことに幸せを感じていたのか、色々と記しておきたいと思います。

1.「制作者」とは…?

そもそも制作ってなんじゃい、というところかと思います。地域創造が2006年に出した『演劇制作マニュアル』から定義的なものを拾おうとおもいましたが、見つからなかったので、実務としてあげられている項目を多少表現を修正しながら下記に列挙してみます。
◎準備段階:予算づくり、企画の整理、上演会場の決定・抑え、稽古場の抑え
◎座組段階:プランナー・スタッフの編成、キャストへのオファー
◎創作段階:演出家や俳優などとの交渉・調整、予算管理、稽古場制作、広報宣伝、チケット営業、契約・保険業務
◎本番:接客対応(招待・取材)、当日客対応、事故・不測事態対応
◎後処理:精算業務、二次利用、再演、ツアー

むむむ、多いですね。。正直やったことない仕事も含まれていましたし、これ以外の仕事も思い浮かびます。頑張って定義的っぽいことを簡単に言うと、劇作家・演出家・振付家、舞台美術家、舞台部、照明、音響、衣裳・・・・・と言ったプランナーやスタッフの方々の仕事「以外」の仕事、全部だと思います。一言では語れない、「その他」の仕事。それが「制作」なのかな、と思っています。やればやるほどスムーズに仕事が運ぶ、そういう仕事だと思います。

2.人によって求めていることが違う

もはや定義なんてない仕事、それが制作です。それが面白さであり、大変さでもあると思います。制作以外のスタッフさんには例えば「照明さんは、ここからここまでプランして実行してくれるだろう」という、おおよそ双方で合意される仕事の範囲がありますが、制作はあんまりそういうの、無いんですよね。
例えば…わたしは、音響さんが使うバッテリーのレンタルを手配したことがあります。こういう時、音響さんが手配したり、舞監さんが手配したりする場合もありますが、どちらのスタッフさんも「この仕事は自分の仕事じゃない」と思ったら、それは制作の仕事です。
こんな感じで、一人一人のスタッフさんが『これは自分の仕事じゃないよね』と思えば、その分、制作に求めているものが変化していくということなのです。
色々な経験が積めるので、常に新鮮味があります。「今回はこんなオモシロ仕事をしてやった!」みたいな達成感につながることもあります。

3.制作は何で評価されるのか

人それぞれ求めているものが違うとなれば、何をもって自分が評価されるのかが、分からないのですよね。
おそらく【1.「制作者」とは…?】であげた実務内容を、全部70点以出来ている状態を前提として、さらにその現場で求められる特殊な仕事も滞りなくこなし、無事に現場を終わらせることが、「最低でも」求められているのかな、と思います。
逆に約20個ある項目の内、ほとんど満点近くなのに、1個だけでも50点以下になるものがあったら『あいつ出来ねえな』と見られているような気がします。実際に私からみて『普通に仕事できる人じゃん』と思える制作さんを「あいつは〇〇なところがダメで使えない」と言っているスタッフさんに、何人も出会ったことがあります。
それを、わたしなりに言い表そうとしたのが【制作の評価は減点法】という表現です。
仕事の枠が決まっていないので、評価の軸が決まっておらず、ある一定以上出来るのが当たり前。それで加点する方が難しいのですよね。だからダメな部分ばかり見られて、減点法で評価されるような感じがしてしまっていました。
「そんなの当たり前だ!でもこの仕事においては満点だし、どうせやれるの私しかいないんでしょ?どやっ」と思えればこっちのもんです。

4.自分の仕事の形を手探りで見つける

と、いった形なので、もはや「自分がしたことが自分の仕事」「どこまでが自分の仕事なのかを見つけ出すのも仕事」という状態です。ある程度のことは最低限こなしつつ、常に予測されることにアンテナを張って、畑を耕したり、地雷を処理したり。
それ自体がすごく楽しい時期もありました。ルーティンワークをするよりも、常に形が変わる何かを相手に仕事するのって、スリリングだし、うまく出来ると自分の適応能力に惚れ惚れしたり(笑)人がやってほしそうなことを先にみつけて、やってあげることとかもすごく好きなので、できると嬉しいです。
でも最近は、それ自体ももう、しんどくなっていた気がします。常に到達しない何かを追い続けて、終わりが見えない感覚とか、顔色をうかがって、びくびくしながら仕事をする感覚とかが、ずっと付きまとっていて、いつのまにか、“なんか疲れたな”となってしまいました。

5.なぜ制作を辞めることにしたのか①【精神面】

上記のことで、すごく好きだったはずの舞台芸術の制作の仕事が、いつの間にか黒い闇のように追いかけてくるものになっていました。
いくら仕事をしたつもりでも、褒められたり労わってくれたりしないのは当然で、むしろどんどん減点法で評価が落ち続けていく。
頂上をめざして上っていたつもりが、いつの間にか沼から這い出ようとしていた。もがいてももがいても、沼から這い出れないし、むしろどんどんはまっていってしまっていて、もう力尽きそうな状態でした。
『いつか、頑張り続けたらこの沼から出れるんだろうか?』と、見当もつかなくなってしまったのが辞めるきっかけだったと思います。
他者からの評価をあんまり気にしない、もしくは気にするとしても自己評価に昇華できるタイプだったら、こんなに苦しくなってないと思うのですが、残念ながらわたしは、そういうタイプじゃなかったことが、自問自答しながわら分かっていきました。
コーチングなどの本を読むと、そういうのも自分の努力次第で変えられる部分なのだと書かれていますが、私の場合、『それも個性だし、付き合っていきたいな』と思うようになりました。

6.なぜ制作を辞めることにしたのか②【継続性】

さらに、わたしの場合は、体力面もずいぶん不安になってきていました。もともと体育会系というわけでもなく、7時間寝れない日が2日以上続くと疲労感が出るようなタイプで、最近だと朝9時~夜10時の現場に1週間入っただけでしんどい、という有様。『既にしんどいのに、今後続けていけるの?』と不安がつのるばかりでした。体力についても、もちろん普段からトレーニングしたら変えていける部分だと思います。何をするにも体力は必要ですし。
それだけではなくて、『いつか子供ができたときにも、続けられるのか?』『現場に入れない場合も、制作者として求められるほどの専門性を今後身につけられるのか?』という意味での継続性も含めて、考えました。
わたしが出した答えとしては、あまりに暗中模索で仕事をしていたので、制作の仕事をしながら継続的に続けられる専門性を身に着けることが想像できない!というものでした。

7.なぜ制作を辞めることにしたのか③【やりがい】

最後に、『やりがい』についてです。人気ドラマの『逃げるは恥だが役に立つ』にも出てきた、『やりがい搾取』。2013年に、離れていた舞台の世界に再度踏み込んだときは門戸も狭く、『好きな業界で仕事ができているだけで、ありがたい』という気持ちでやっていました。当時はもう『やりがい搾取』上等、という感じですよね。所得も下がり、労働時間は長くなりつつも、ホスピタリティも尽くしてきたつもりです。でも残念ながら、わたしの場合はそれが長く続きませんでした。“好き”は残るけど、ありがたい気持ちはすこしづつ薄れていって、『やりがい』自体が姿を消しつつありました。
『舞台は好きだけど、こういう付き合い方しか無いんだったっけ?何で好きなのにこんなに苦しいのだ?』という壁にぶち当たり、『これはもう、潮時だ』となりました。

8.最後に

他者評価が得られず沼にはまっていく。
継続的な発展が見込めない。
やりがいが搾取されつくした。
…色々な部分から、ひずみが出てきてしまって、最終的に辞めるという決意をしました。もちろん、次のステップに向けて、ポジティブに考えて、です。
制作をしていたおかげ、壁にぶち当たったおかげで、自分と向き合えました。そこで気づいたことが下記でした。
・他者から評価を得たい→受益者をもっと身近に感じたい。
・悩み・喜びを共有したい→チームで働きたい。
・続けられる仕事をしたい→「体力勝負」から離れて自分の個性で勝負したい。

自分の『個性』は何か?何にどう喜びを感じ、どういう道を歩みたいのか?それを自分なりに一生懸命に考え、「やりがい」を掲げずともビジョンが共有できる働きやすい環境を整えたいと考えた結果の、『舞台制作…辞めました!』ということでした。
この決意のおかげでこのまま舞台を好きでいられそうです。

すごく好きな、自分の糧になった大事な仕事でした。それを経た上で、次なる1歩に進みます!「制作者」として出会ったみなさま、本当にありがとうございました!舞台は好きなままです。新しい仕事でも、アート業界に少しでも良い風を吹かせたいと思っておりますので今後ともよろしくお願いします!

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