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ふたりのルクレティア展——桑原聖美/あらかわ画廊 2016.10.26




 桑原聖美さんの個展のため、あらかわ画廊さんへ。

 きよらかにうつくしい、というその名のとおりの画を描かれるかたの絵のまえで、わたしは黄金の夢と琥珀の光にまぶされた「聖なる美」に魅入られた「客人」となっていた。

 ルクレティア。

 その名前が秘密を囁くように目のなかを泳ぎ、耳朶に響く。

 それはおのれの貞節のために心臓をナイフで貫き死を選んだ百合のように可憐な女の名か。それとも、堕落の象徴といわれて毒の虚像をはりつけられた薔薇のごとき華麗な女の名か。

 「薔薇は太陽、百合は月、菫は星……」とわたしは呪文みたいに心のなかで繰り返しながら、《彼女》と見つめあっていた。「ふたり」のルクレティアと。

 その顔は放心的で、夢遊的で、なにかに陶酔するみたいに、どこか遠いものたちへとむけられている。

 目は無限大をとらえ、ここではないどこか、向かいあうわたしの背後にそそがれている。眼差しを交差させながら、《彼女》の硝子のように透きとおった瞳は、けっしてわたしを見ない。

 ほんのすこし開いたくちびるは、綻んだ花みたいに「自分」という存在そのものを、他者にむかって「ひらいて」いる。

 彼女は何者をも受けいれる。だから何者をも拒んでいる。


 女神、天女、聖女。「きよら」なるもの。清らか。聖らか。しかしそこから、なんともいえない妖しい香りが漂ってくる。それは「きよら」かな白さではない。

 堕天使、妖女、魔女。「けがれ」とされたもの。汚れ、穢れ。誘惑のような蜂蜜色が、「白」を染めてゆく。塗りつぶすのではなく、「けがれ」はやさしく愛撫するだけ。

 これはイヴとリリスをひとりの女のなかに、おなじ比率で存在させた絵画だ、とわたしは感じた。聖なる悪女。


 桑原聖美さんの解説を拝読すると、この画は、由緒も来歴もわからずに、それ自体がひとつの「謎」として古いお屋敷の奥深くから出現した絵、という舞台を想定されながら描かれたものなのだという。この展覧会そのものにも、「架空の写し」という題材を、テーマのひとつとされているということだった。


 わたしはこの「ルクレティア」こそ、そのお屋敷の女主人だった人物なのだと想いながら、いまも洋館に棲みついている《彼女》の声に呼ばれるようにして、自分は今日という日にあの画廊に足を運んだ「客人」なのだと、ひとり遊びのように考えた。


 ひとりの女のなかの、ふたつの顔。ふたりのルクレティア。この画を目にすることができ、幸福でした。


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 遠い昔、これを綴ったわたしは忘却のなかにまぎれ、いまとなってはこのように言葉をならべてひとつの文章にした自分が、わたし自身でなくほかの誰かであるような気がしてならず、実際その当時と現在とではさまざまに変化しているため、わたしは“わたし”という地続きにいながら、異なる人間なのでしょう。

 種から芽に、芽から苗に、という段階とともに植物は成長するけれど、人間にもたしかにそういう段階があり、それでゆくとこれはわたしが“種”だったころに記した文章であると自分では感じられ、このような言葉を綴っていたこと自体が曖昧になっていました。そのころのわたしがなにに悩み、嬉しかったのかも曖昧にしか想いだせないように。

 種から芽を出すためにはおおきな力がいるもの。だからその当時のわたしの渇き(不安や悩み)への怖れは、いまからでは考えられないほどデリケートなものだったかもしれない。

 「わたしという種からは芽が出ないかもしれない」という未来への怖れ、自分という存在に対する懐疑からくる“渇き”になぐさめをあたえてくれたのが、植物がそうであるように水と栄養であるならば、わたしに水と栄養という楽しみと喜びをあたえてくれた「“美”が紡いでくれた記憶」、いつのまにか忘れていたいつかのわたし自身の水と栄養を不意に過去の日記の頁をさかのぼるようにして意図したわけでもないのに想い出したことが感慨深く、古い記憶のかけらとそこから綴られた文章ではありますが、ここに置いておくことにしました。


 ふたりのルクレティア。

 わたしたちが《彼女》を見ても、《彼女》の眼差しはわたしたちを視ない。高潔さと真実。彼女の視線は彼女の内側に宿る、もうひとつの世界にむけられている。“ほんとう”の世界に。自分とおなじようにその世界を知っている者、その世界に住んでいる他者でなければ、彼女は《わたしたち》の存在にすら気づかない。

 ルクレティアは高貴なる者の名。

 そして“高貴なる者”とは、「きよら」も「けがれ」も人々が(《わたしたち》が)する判断であると知っている者のこと。「きよら」のなかにも、「けがれ」のなかにも、《彼女》はいない。

 いまあらためて「ふたりのルクレティア」についてこのような言葉が自分のなかからあふれてきたので、蛇の足ではありますが綴っておきます。



 (上記は2016年10月26日、かつて公開していたBLOGに綴った文章に加筆したものです。)



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