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わたしがコスタリカに帰ってきた訳(コスタリカ種蒔日記)

 懐かしい匂いが鼻をくすぐる。
 ドキン、胸が高なった。
 パクチーとコーヒーを混ぜ合わせたような、ほろ苦い独特の香り。
今、1年半の時をおいて再びこの地に立つまで思い出すこともなかったけれど…間違いない。湿り気を帯びた生温かい風に乗って流れてくるこれは、コスタリカの匂いだ!

 匂いは記憶を鮮明に呼び覚ます。スタッフに案内されて空港の出口へと向かいながら、わたしの心は初めてこの国を訪れた20歳の春へと舞い戻っていった。生まれて初めての海外への一人旅となった、コスタリカの国立公園での環境保護ボランティア。あまり興味がなかった振袖の代わりに選んだ、20歳の記念だった。
 世界の数ある国の中で、なぜこの中米の小国を選んだのか不思議がる友達も多かったけど、わたしの中ではごくごく自然な選択だった。小さい頃から動物が好きで、「珍しい生物の宝庫!」とテレビでよく取り上げられている中南米のジャングルに憧れがあったこと。わたしが生まれる前、両親が数年間南米チリに住んでいて、両国の公用語であるスペイン語に少しだけ馴染みがあったこと。大学に入って、長期休みの度に一人でフラリと海外に行ってしまうようなアクティブな人にたくさん出会い、バチバチ刺激を受けたこと。あとで詳しく触れる、エコツーリズムという取り組みを知ったこと。
 そして、ウェブサイトを通じて問い合わせたコスタリカのバラオンダ国立公園が、全盲であるわたしをボランティアとして受け入れてくれたとき、完全に心が決まった。もちろん全力で交渉するつもりだったけど、正直断られても仕方ないと思っていたから、返事をもらったときは本当にうれしかった。地球の裏側から伸びる糸にくるくるとたぐり寄せられるような、この国との縁を感じずにはいられなかった。

限りなくシンプルで、それでいて初めての出会いと経験に満ちたあの3週間のことは、今でも忘れられない。毎日朝早くから、野生のサルや蝶の生体調査のために山を歩き、動物たちが食べ残した木の実の種を森の地面から拾ってきて植樹し、日暮れには洞窟の前に大きな網を張って、目覚めて飛び立つたくさんの小さなコウモリたちを待ち受ける。毎朝決まって5時半に木立を突き抜けて響き渡るホエザルの雄叫びで目を覚まし、屋外のキッチンで虫取り網を縫っていると50センチ横をイグアナが悠々と歩き過ぎていく。夜、キッチンでみんなでおしゃべりしていたら、突然どこからともなく15センチ以上はあろうかというでっぷり太った巨大なバッタが大量に降ってきて大騒ぎになったこともあった。
 わたしたちの周りに自然があるのではない。自然の只中にわたしたちがいる。わたしたちの都合ではなく、自然の都合で一日の予定が決まる。常に生き物が葉っぱを食べているような音や小鳥の羽ばたき、たわんだ枝が跳ね返るような音が聞こえていたあの公園の自然は、雄大というより濃密という形容がふさわしい。
 同じくわたしを虜にしたのは、この国で出会った人々の優しさとおおらかさだった。休み時間には(ときには作業中でも)のんびりコーヒーを飲みながらおしゃべりし、ふらりとお互いの家に遊びにいき、「今日は午後からサッカーの試合を観るから」と午後からのアクティビティを休みにしてしまう。日本語を紙に書いて覚えてくれたり、わたしの片言の英語や今以上に喋れなかったスペイン語にも、一生懸命耳を傾けてくれる。彼らと一緒にいる時わたしはすっかり心穏やかになり、遠く地球の裏側まで来ていることをうっかり忘れるほどだった。
 初めての全盲のボランティアだったわたしを彼らがいつでも気にかけ、それでいて余計な心配をすることなく、ごくごく自然に接してくれたことも本当にありがたかった。到着したその日に、普通ボランティアには触らせないという野生のコウモリを特別に触らせてくれた。みんなでオセロのようなゲームで遊んだときは、急に台所からナイフを取ってきて、わたしが触ってわかるようこまに傷をつけてくれた。一方で山道や洞窟にはどんどん入らせてくれるし、包丁を使う料理も当たり前に任せてくれる。滑りやすい山道を一緒に歩きながら、「気を付けて。まあ、転んだって大したことはないけどね、ちょっと痛いだけで」と言ったロリは、コスタリカでのわたしの最初の友達になった。
 このみんなのやさしさ、ポジティブさ、忍耐強さがとりわけ光って見えたのが、生活の中でトラブルや不具合が起きたときだった。たとえば、週に一度のペースで襲ってきた断水。なんの前ぶれもなく突然蛇口という蛇口が意味をなさなくなり、シャワーも翌朝までお預けだ。そのときはコスタリカはどこもこんな感じなのかと思ったが、今考えると国立公園という特殊な場所だったことや、ちょうど乾季で水が少なかったことが関係していたのだろう。とにかく、わたしやヨーロッパから来た他のボランティアたちがその度に一喜一憂している横で、現地の人たちは何事もなくけろっとしていたのだ。
「ちょっと不便があるぐらいがちょうどいいのかも。かえって人は優しくなれるのかもしれないな…」
 ふとそんな思いが頭をかすめ、たちまち離れなくなった。なんだろう、この感じは。確かめたい。この国のことを、人々がどんなことを考えて暮らしているのかを。そのためには、3週間じゃいくらなんでも短すぎる!
 日本に帰るやいなや、わたしは猛然とコスタリカへの長期留学のための準備を始めた。

 そして、今。わたしは再びこの地を踏んだ。大学を休学し、これから10ヶ月コスタリカで暮らすのだ。
 この先何が起きるかわからないけど、いいことも悪いこともすべて自分の栄養にしてやるぞ!
 …実際はそんな威勢のいいものではなく、時差ボケと気圧の差でやられた耳の痛みを取るためあくびを繰り返しながら、わたしは新たな生活へと一歩足を踏み出した。


 これは、2018年11月~2019年8月まで丸10カ月間にわたる、わたしのコスタリカ留学の記録です。帰国して1年以上が経った今だからこそ書けるあれこれを含め、できるだけありのままの出来事や気もちをつづっていきます。

コスタリカの基本情報は以下をご覧ください

コスタリカ基礎データ-外務省
https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/costarica/data.html

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