おばあちゃんしにそう_3

長いようで短い二日間だった。帰りの地下鉄、どうでもいい広告を目に映しながらネガティブな妄想を繰り返す脳みそを壁で冷やす。

帰省して二日目のお見舞いは、終始ハッピーだった。祖母が一般病棟に移ったのだ。
「今日はどんな様子やろか」と空元気な声の祖父を乗せて、お昼過ぎに私たちは出発した。昨日は沈黙が気まずくて、毒にも薬にもならない話題を探すのに頭を使ったが、今日はだんじりの試験曳きで母が始終キレていた。「迷惑やわ!勝手に道封鎖して」。

病院の駐車場に入ってまもなく、耳慣れない着信音が聞こえた。後部席を振り返ると訝しげに祖父がこちらを見る。「おじいちゃん、携帯鳴ってる」はっとした顔をして鞄を探る祖父は、補聴器を埋め込んでいても聞こえにくい音がある。携帯の画面を見て「いつもかかってくるねん、これ知らん番号や」というので私が出てみる。「もしもし」「あ、●●さんのご家族の方でしょうか」「はい、そうですが」「こちら、●×病院のものですが」目の前の病院やないかい。何かあったんだと思い、何を言われても平静な顔面を装う準備をしつつ話を聞くと、祖母が一般病棟に移るという。なんてタイミング。ICUから私たちと一緒に移動しようということになった。祖父に携帯を返す前に、病院の電話番号を登録した。

一般病棟に移って、母も祖父も一安心していたが、祖母は表情を変えなかった。嬉しいはずなのに表情が変わらない現象は母にも現れることがあるので、気にしないことにした。大部屋に空きがなく一時的に移動した個室は綺麗で、景色が良かった。「あべのハルカスや」と私が指をさすと、祖母は東にあるという山の名前を言ったが、地理に疎い私はもう覚えていない。
部屋のドアを閉めると本当に音が遮断されるので、病院が祖母のことを忘れてしまわないか心配だった。ふいに祖父が「なんやあれ」と天井を見上げた。何かが飛んだような、茶色いシミがついている。おいおい縁起でもない…と病院に文句を言いたかったが、位置的に患者から噴き出た体液とは思いにくいので黙っていることにした。本当は退院するまでICUにいてほしかったが、母曰く「ICUにいてるには元気すぎる」らしく、それに大部屋に移って騒がしい場所に居てる方が気も紛れるかもしれないと思ってやはり黙っていた。何かあった時にちゃんとナースコールを押してくれることを願うばかりだ。

タイミングが良かった行き道とは違い、帰り道はだんじりの試験曳きに出くわしてしまった。知ってる道を閉鎖され、公道かどうかも怪しい知らない道路へ誘導され続け、母はパニックになり、私は突然のイレギュラーに楽しくなった。「迷子なった」と祖父に言うと「迷子か!おじいさんもこんなとこ知らんわ」とこちらも何故か嬉しそうだった。とりあえず停めたセブイレで母が地図アプリをチェックしている間、私は普通のコーヒー二つと自分用のチャイを買う。「これどこに挿すん」とストローを持って聞いてくる祖父を見て、そうか、これは最近の容器かと気づいた。私が飲んでいるチャイを見て母が「どんな味すんの」と訊いてくるので、「バスロマン」と言いながら渡すと、ほんの少し飲んで「ほんまや」とすぐに返された。
おばあちゃんが一般病棟に移ったこと、帰り道のハプニングが三人の気分を少し上げていた。どうにか知ってる道に出て、無事スーパーでの買い物も終え、祖父を家に送って帰った。

賑やかだった二日間をひきずりながら電車に乗る。荷物を膝に乗せ、目を瞑った瞬間、突然おばあちゃんが脳裡に現れた。誰も乗っていない車両、私は足を伸ばし頭を壁に預け、ぼんやりと中吊り広告を見上げた。祖母はちょっと頑固なところはあるけど、優しく、誰が見たって善い人だ。私達孫に向ける笑顔に、後ろめたさや翳りが1ミリも混じっていたことはない。一日三食しっかり食べ、適度に運動もして、健康には気をつかっていた。なんなら座り仕事ばかりしている私より体力があったと思う。もう90年生きた。そんな祖母がなぜ、苦しんで死ななければならないのか。今日は元気だった。からといって明日も元気な保証にはならない。たった2日連続行っただけで、退院できるかわからない祖母を見舞うのはどれほど神経をすり減らすのか身に沁みたが、毎日行かない選択肢なんか、祖父には無いだろう。今日の帰り道はみんな笑顔だったけど、明日も笑えるかどうかはわからない。母と祖父の笑顔が消えるところを想像して、鼻がツンとした。

祖母は静かに運命に身を委ねているように見えた。それを止めるのに必死で追いかける祖父。私が心配しているのは、どちらかというとおばあちゃんを失った後のおじいちゃんのことだな、と思った。

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