外向と内向、ならびに自力と他力について

私は社交的な場に出ると、
「キミはもっと積極的に人と接したほうがいい!」
などといったようなことをよく言われる。

確かにそう言う方々の言い分は分かる。彼らは外向的な性格を持っており、多くの人と関わりを得る中で刺激を受け、それによって成長してきたという自負がある。その成功体験に基づいて、内向的で消極的であるように見える私のような人間に対して全くの善意で冒頭に書いたようなアドバイスをするのだ。

話は変わるが、仏教には「自力」と「他力」という概念がある。これは、言ってしまえば仏教におけるスタイルのようなもので、禅宗は自力仏教、浄土真宗は他力仏教だ。自力仏教である禅宗では、自ら座禅等の修行を積み重ねることによって悟りの境地を目指す。一方、他力仏教である浄土真宗は、ただひたすらに阿弥陀様を拝み自身を委ねることで悟りの境地を目指すものだ。これら「自力」と「他力」は全く相反することを行っているようにも見えるが、最終的に悟りの境地を目指しているという点は同じであるし、どちらが優れていてどちらが劣っているということは一切ない。修行者自身が自分に合っていると思うほうを選べばよいというだけの話だ。付け加えておくと、仏教にはメジャーなものからマイナーなものまで実に数多くの宗派がある。悟りへ向かう道はそれだけたくさんあるということだ。

多くの人は、生きている以上「より良く生きたい」と思っていることだろう。そして時には周囲の人に対し「より良く生きてほしい」とお節介を焼いたりもする。そこで、「キミはもっと積極的に人と接したほうがいい!」などとアドバイスしたりするのだ。

とはいえ、人それぞれ性格は異なるし能力適性だって異なる。外向的で大勢の人が集まる場所が得意な人にとっては、積極的に人と接するという手法は有効なものだろうが、私のように、内向的で感覚過敏傾向の人間は、社交的な場に出たときにはまるで毒沼に浸かっているかのようにHPがガリガリ削られていってしまう。人と接することで得られることがあるのは間違いないのだが、受けるダメージ(疲労)の大きさも鑑みると、あまり効率が良いとは言えないのである。

その一方で、内向的な人間は、一人で物事に没頭する力がある。書物やインターネットや思索を通じて高い境地を目指していくのだって、これも立派な「より良く生きる」ための手法だ。

ここまで外向的な人と内向的な人を二項対立させるような形で論じてきたが、何も両極端になる必要はない。自分の調子や気分に応じて、丁度いい比率で配分すればいいだけの話である。

さて、2019年ももう終わりですね。2020年もより良く生きていきましょう。

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