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COMPASSION ~木星うお座期によせて~


Compassion・・・
うお座に生まれたことは、
この言葉の意味を探求する人生のように思う。

ただただ穏やかな波のように
今、それは、わたしの中に入ってくる。

掴むことはできず
つかもうとすれば手のひらからこぼれていく
バケツの中にいれようものなら澱む

その全体をただただ感じることしかできない。
もうすこし、ほぐすと
Compassionはわたしにただ寄り添う。


compassionのcomは「共に」。
passionはもともとキリストの十字架上の苦しみのことを指す。
ラテン語のpassionem(苦しみ)やpati(苦しむ)が語源にあたる。

12世紀頃に ”sufferings of Christ on the Cross”(十字架にかけられ苦しむキリスト)という意味に使われていて
passionとは、「キリストの受難(裁判から処刑までの精神的、肉体的苦しみ)」のこと、
compassionという言葉が、もとは「キリストの苦しみと共にある」という意味であることは、知っている人も多いと思う。

passionという言葉が、
現代のような"strong emotion, desire”(強い感情、欲望)を表すようになったのは14世紀終わり頃だということ。
強すぎる感情は苦しみを生むことを象徴しているのだろうか。


Compassionという言葉は
意味深いなと思う。


ただ寄り添う。
対象として触れることもできない。

それしかできないもどかしさ
それしかできないやるせなさ
ただ目の前に起こる事象を見ている
どんなことがあっても。

キリストの苦しみをただ見ているしかできないという感じだろう。
信仰の本質にも思う。

けれど
この意味深さ、無力さを受け容れたとき
それは、思考では計り知れない大きな力になる。

うお座は、”それ”を信じている。
その信じる力は大きなものを動かしていくように思う。


木星うお座期。
多くの人が自らの内側からあふれていく
Compassionの発見者になるだろう。

それは、自分の力だと思った瞬間には消えていく。
”わたし”は、観察者だ。
その観察力は、反対側のおとめ座。

けれど、最終的にうお座は、それすらも超える。
意味も理由も超える。
うお座にとって、すべての理由は無意味だ。
自らを目の前のすべてに捧げるだろう。

信じているから。


それは、人と人を結ぶ力、
新しい次元と次元、異なる次元を結ぶ力でもある。

次元の崖っぷちを包み込み、その境界線を曖昧にする。
それを人は一体感として感じる。

それは、宇宙(秩序)を壊す力でもある、
だから宇宙の「法」を無視して、この力を使えば
時にその代償は大きい。

それを教えてくれるのはみずがめ座。
そして、反対側のおとめ座の力がバランスをとる。
もっと大きな力があることを忘れないように。
それが信仰でもある。

うお座が12星座一番最後であるのは、
新しいめぐりの始まりおひつじ座にバトンを渡すから。
それは、ひとつの「死」と「誕生」でもある。


Compassion。
やはり、それは水の質なのだと思う。

感じ続け、寄り添い続ける力。
水にからだが浮かんでいるように離れることがない。
どんな形にも対応する。


木星うお座期。
それぞれのスペースに”新しい水”が注がれる。
内側からあふれ出る。

それは、かつて流したかった涙かもしれない。
かつて流した涙かもしれない。

記憶についた感情を洗い、溶かし、
純化した”水”は地球を包み、
今日もめぐり、いのちを育む。


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