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三日月と夕暮れと老紳士    ~人を愛するということは知らない人生を知るということ~



二の鳥居の信号待ちで
老紳士に声をかけられる。
 

「美しい三日月ですね。」


「はい、とても美しいですね。」
わたしは、そう答えて、老紳士のお顔を見た。

片目は見えていないようだ。
その目はどこかで会ったことがあるような感覚で
吸い込まれた。
 

老紳士は、腕時計のカレンダーを見て

「日が少し長くなりましたね。」という。
 
「そうですね~!冬至が過ぎましたものね。」

と、老紳士の腕時計をちらりと見ると
その日付は「22」になっていた。

あれ?冬至の日付のまま??
えーっと今日は・・・何日だっけ??
と記憶を巡らす。
  
老紳士は、腕時計から目を離し、
「節気や月のめぐりで暮らしているものですから
美しい月を見て、つい話しかけてしまいました。
 
今日は段葛(だんかづら)が遠近法になっていると聞いて
確かめに来たんです。」

と後ろ背にあるニノ鳥居から段葛をみる。

段葛とは鶴岡八幡宮さんの参道のこと。

段葛は鶴岡八幡宮入口の三の鳥居に向かって、道幅が少しずつ狭くなっている。遠近法を使い実際の距離より長く見せているそう。


老紳士は、ふたたび、月を見上げながら
「今日は富士山もきれいに見えました。」
 
「どちらからいらっしゃったのですか?」
 
「小田原です。」

「小田原なら富士山がきれいに見えますね。」

「はい、わたしの暮らす場所から少し行くと良く見えますね。」
 
信号が変わり、

「ついつい話しかけてしまいまして。では、しつれいします。」


挨拶をして別れた。

おそらく、短い時間だったはずなのだけど
まるで時が止まったかのような時空だった。
 

段葛を確かめに来た。
そのために小田原から。
 
なんだか、胸のあたりが暖かい気持ちになった。

純粋性。
そんな言葉が浮かんだ。

段葛を見たくて居てもたってもいられない。
そのためだけに小田原から足を運ぶ。

 
わたしは、どうだろう?
忙しさの中、仕事のために日々を費やしていたことに
ハッとして、もう一度、二の鳥居に戻り
月の写真をiPhoneに収めた。


今日の仕事は思い通りに進まなかった。

いいじゃないか。
こんな美しい月を見ることができて
あたたかな交流ができた。

魂が歓喜しているのを感じた。


 

 

名も知らぬ人の人生に触れる。
 
人の人生に触れる。
 
たぶん、わたしの魂が喜び震えるのは
そんな瞬間だ。

旅が好きなのもそんな瞬間に出会えるから。
星を読むことも人の人生に触れること。
 



今日も灰谷健次郎さんの言葉が想い浮かぶ。


『あなたの知らないところにいろいろな人生がある。

 あなたの人生が かけがえのないように

 あなたの知らない人生もまた かけがえがない。
 
 人を愛するということは知らない人生を知るということだ』
 


星を読むことは
知らない人生を知ること。

それは、人を愛することなのだ。
 
 
そうか、今日はうお座の月じゃないか。
しかも老紳士に話しかけられた時間あたりから。


美しい月からのプレゼントだったのかもしれない。
太陽をうお座に持つわたしに。


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