これまでの人生

はじめまして

今回noteを書き始めるにあたっての前書きとしてこれまでの生い立ちを時系列で回想したいと思います。ちょっと長くなるかもしれませんがお付き合い下さい。

[生い立ち]

私は岡山で長女として生まれ、2つ下の弟が一人います。
6歳の時に両親が離婚し、親戚のいる東京へ行き母と弟と3人暮らしを始めました。
親戚が近所に住んでいたので、母の仕事が遅くなる時にはよく面倒を見てもらい、とても可愛がってもらったのを覚えています。
母の家(親戚も)は仏教を熱心に活動し母も熱心な信者でしたので、私と弟も自然と仏教について学んだり、読経するのが普段の生活になっていました。
性格は明るく素直で活発、積極的に物事に取り組むタイプでした。

小学校に入学してから、勉強することの楽しさを知り、勉強大好き人間になります。
高学年になるころからは、書道教室へ通い始めたり、合唱団や鼓笛隊に入ったりと、文化的スキルを習得するようになりました。書道も鼓笛隊も高校まで続け、自分にはとても良い経験になりました。

中学ではより一層勉強好きに磨きがかかり、成績も評価されるようになりました。
部活は剣道部に入り、生徒会長も経験しました。

高校に進学すると、いわゆる高校デビューを果たしこれまでとは違うベクトルに進みます。
化粧を覚え、髪も染め、友達とカラオケに行ったり、彼氏と遊んだりし、勉強第一だった私は勉強以外の楽しみを発見していきます。

ここで人生のターニングポイントが訪れます。

高校3年生で大学受験をするも、不合格。
さまざまな原因で卒業式を目前に精神を崩壊させてしまい、精神科に強制入院させられます。
この時、統合失調症と診断され、人生の挫折と絶望を味わいます。

この後1年くらい療養し、フリーターをしながら将来を考える日々が続きます。

その中で遺跡発掘調査のアルバイトをする機会がありました。
勉強の中でも歴史が大好きだった私に、母が求人を見つけて勧めてくれ、私は1年3ヵ月ほど発掘の仕事をします。

発掘はとても楽しく、土に触れ、歴史的遺産を観測するたび、自身の心も少し回復していくような感覚がありました。

その後、仕事ぶりを認められ報告書作成の仕事にも携われるようになり、そこで初めてIllustratorというソフトに触れました。
現場で描いた図面をトレースするのが主な作業でしたが、それもまた楽しくIllustratorを使ったデザインの仕事にも興味を抱くようになります。

どうしてもデザインの勉強をしたいと一念発起し、現場納期と共に発掘の仕事を辞め、グラフィックデザインの専門学校へ入学します。
平日は居酒屋で働きながら、日曜に学校へ通いグラフィックデザインの面白さや奥深さを学びました。

当時お付き合いしていた彼との間に子供を授かったため、就活を辞めて結婚し出産することを決意します。
この時の年齢は23歳です。
出産予定日の2週間前から寝られない日々が続き出産予定日前日に統合失調症を再発させてしまいます。
出産は帝王切開、出産後に我が子を抱っこさせてもらう事も出来ないまま精神科の病院へ転院。
一か月の入院生活を経て右も左もわからないなかで、育児や家事をこなす日々が始まり、ご近所付き合いや主婦としての一日のルーティンを決めて生活を回していく能力がついていき、逞しくなってきたのはここら辺からだと思います。
乳幼児の育児生活では本当に毎日がサバイバルで、大変なことばかりでしたので、何か楽しみを他にも見つけたいと始めたのがコスプレでした。

当時ダイエットも成功させ20kg痩せられたことで、着られる服も増え、コスプレをした写真をSNSに投稿することで日々のストレスを発散していました。
コスプレから繋がったSNSでの友人も出来たり、そこでロゴを作るなどのデザインの依頼も受けるようになり、自分がやりたかったことを少し具体的に出来る様になり始めました。

娘が少し大きくなってきた頃にパートで働くことを再開しますが、パート先の会社が男性社員を募集していたため、社長から旦那を誘って一緒に働かないかと持ちかけられます。
そこで旦那も了承し、今の会社をやめ一緒に働き始めるのですが、、、。

そこでさまざまなトラブルが発生し、旦那はクビになり無職。私もパートを辞めざる得ない状況になっていきます。

そんな時知り合いからデザインの依頼があり、グラフィックデザイナーとして起業するチャンスと捉えて、会社も辞め、フリーランスのグラフィックデザイナーとして働き始めます。

最初の仕事も成功させ、ほかの仕事も取り組む中で、育児や家事も行っていたため、多忙を極め精神が崩壊し始めていました。
そしてついに、ゴールデンウィークに旦那の実家に帰省していたのですが、そこで統合失調症を再発させてしまいます。

即時入院になってしまい、そのまま旦那と子供は旦那の実家で暮らすことになります。
入院中、3人で暮らしていたアパートは退去されていて、私の私物も勝手に捨てられていました。
退院後には、いきなりの義父と義兄との同居生活が始まります。

少しずつ回復し、実家での生活にも慣れてきたころ、またトラブルが発生。

旦那の不倫が発覚します。

しかし、ここまで多くの助けを受けてきた恩もあり、たった一度の過ちで全て断罪するのも私の性格が許さなかったので、1年間の更正期間を設けました。

私も退院後に就職したパート先でDTPオペレーターとしての仕事を懸命にこなし、生活を自立できるように社員に登用してもらえるように働きかけ、今はパートと社員の中間のような立ち位置で働いています。

一年後は結果的に離婚してしまうことになりますが、彼の実家から今もサポートを多く受けながら子育てに仕事に取り組む日々です。

シングルマザーとして子育て、家事、仕事といくつも車輪をフル回転しながら走ってきましたが、身体も精神もあまり強い方ではなく、昨年9月には子宮癌の手術をし、昨日には虚血性大腸炎で入院し、いまは病床からこのブログを書いています。

これまでの人生は31年間という短い間ですが、濃厚でかつ革新的に進んでいると感じています。

このブログを書こうと思ったきっかけは最近聴き始めたSpotifyのポッドキャストのコテンラジオで聞いた歴史の偉人のドラマから刺激を受けたことと、いつかは自分の人生が無駄じゃなかったと証明できるような何かを書き残したいと思っていたからですかね。。。
拙い文章ではありますが、人生で挫折や絶望に苛まれ、それでも生きてきた私の経験が誰か困っている人にとって、ちょっと頑張れるかも!という何かになれたら良いなと思っています。

今後は少しずつ掘り下げた自分の人生録や影響をうけたり感動した出来事や経験を書いていきたいなと思っています。

よろしければまた読んで下さい。

拝読ありがとうございました。

Lumi_fluer(ルミフルーエ)

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