見出し画像

キヤノンを持った神様たち

「これで撮っていただけませんか?」
…渡されたカメラは、古いキヤノンの一眼レフ。
確か50ミリレンズがついた、FTbだったように思う。

ええ、いいですよ?と、いつも通りにカメラを受けとる。
私は肩に、自分のニコンF801を下げ直し、FTbを構えた。

…左手に伝わる感触が変だった。
レンズがガタついている。
マウントに何か不具合があるのだ。

「これじゃあピントが出ないよなぁ」
…内心そう思いつつも、シャッターを切る。
FTbの持ち主は、中年と呼ぶには少し若い方と、それより十歳以上は年配の方のカップル。
男同士だったのだが、肩を組み、にこやかに笑い合う二人は、まるで恋人同士のようだった。

先だって、私は実父を亡くしたばかりだった。
父とはあまり、多くを語ったことがない。
我が家は母方の力が強かったし、母の実家もすぐそばにあった。
父は肩身が狭く感じていたかもしれないし、父は私同様、一人を愛する人物だったから、どこか子供と打ち解けることを苦手としていたのだと思う。

最後まで打ち解けること無く、父は逝った。
別の場所で晩年を暮らしていて、看取ることも無かった。
その薄情さや後悔もあり、全く行ったことがない場所へと、私は旅立ったのだ。

選んだのは、山梨県の明野村(現北杜市明野地区)。
全国的に有名だった、広大なひまわり畑だ。

もう夏と呼ぶには遅い、八月の終わり頃の事だった。
慕う気持ちも、好意もあまり感じてはいなかった父ではあるが、やはり寂しい気持ちにはなる。
枯れかけている向日葵畑の中を歩き回って、気分の整理をつけようとしていた、そんな最中での出来事だった。

彼ら二人は、本当に嬉しそうにして、去っていった。
壊れかけのカメラで、果たしてシャープな写真が撮れたかどうかは甚だ疑問だ。
自分のニコンを見つめながら、写真とはなんだろう?と、ひととき考えていた。

今思うに…彼らはきっと「写真の神様」だったのだろう。
人生も写真と同じように、満点のカメラで無くてもいい…ただ撮影を楽しむためのモノであるならばそれでいい…それを教えるために現れたのかも知れない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?