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去らば父よ!

父親と本気で喧嘩が出来た人って、どのくらいいるんだろう?。

私は例え口喧嘩でもしたことがない。
勿論、仲が良すぎての事では無い。
現実は真逆で、お世辞にも仲が良かったとは言えなかったのだ。

食事中も喋ることは無い。
そも、夫婦仲も最低に近かったから、食事に会話が入る事自体稀だった。
TVが無かったら地獄の晩餐だったろう。

親父の実家は、それなりに裕福だった(らしい)。
らしい、と言うのは、我が家は母方の実家の影響が非常に強く、父方の実家には年に数回訪れるだけで、内情の把握が出来なかったから。

商売を営んでいたが、店は長男の方が継がれていて、次男である親父は独立せざるを得なかった。
プライドが低くはない親父だから、実家から少し離れた土地で、全く実家とは異なる業種の店を出したが、敢えなく撃沈。
そのショックが大きかったのか、それとも最後まで反対をしていた母方の声が響いたのか、それ以来親父は覇気を無くしてしまったらしい。
家庭内がどこかしら暗かったのは、そのような彼是があったからだ。

プライドが高かった親父。
一方で、プライドを幼くして叩き潰されてきた私が、上手くやっていけるわけなど無かった。
私のプライドを圧迫した主な要因は「いじめ」だった。
内容については今は多くを書かないが…もしそのときに矢面に立ったのが親父であれば、私は親父をもっと好きでいられたように思う。
しかし不運にも親父にも辛い季節であったから、その事に恨みがましい事は言いたくはない。

結局、長年連れ添った夫婦関係が終結し、強すぎた母方の実家との関係ゆえ、親父は一人去っていった。
私と親父の関係は修復されること無く、彼の死という現実により終結した。
私は親父から何かを学ぶ機会を得られぬまま、今に至っている。

私はきっと、普通の親父という存在を知らない。
自身が独身であり、子も成さなず人の親にもならずだから、こうやってnote を綴り書きしつつも、時折馬鹿な事を書いているのかも知れぬと思う。

父の日とは、母の日以上に、私にとっては「遠い日」だ。
今ならば少しは盃を傾けつつ、話も二三は重ねられたろうと思うが、それも最早遠き夢と消えた。

父の日に言おう。
「去らば父よ…いつかどこかで邂逅おう!!」


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