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カメラ、カメラ…(デジタルカメラ編④)

春四月、桜も咲いたという日に、戻り雪が降った。
仕事の合間の時間に、ある寺の駐車場に私は車を停めた。
雪は相変わらず、積もるかと思う勢いで降っていて、あたりは徐々に、ほの白くなっていった。

私はズボンのポケットからスマホを出す。
桜に積もる雪を撮り、観音菩薩の横顔を撮ったりした。
なんの手も加えたわけではないのに、撮影した画像は美しかった。

その後、違う神社で、今度はムービーを撮った。
若葉が風に揺れていた。
手水舎で、龍の口から流れ出る水を撮った。
弾ける水の滴が、暗いバックに輝いて写っていた。

…なんだこれは?。

ただ驚いた。
スマホのカメラがここまでなんて、全く信じていなかった。
近頃は全く感じていなかった、それは正にカルチャー・ショックと言って良いものだった。

それからだろうか。
私は全くカメラを買わなくなってしまった。
超広角のズームレンズを買ったが、それはずっと欲しかったもので、値段が手頃になったから求めたが、それ以外の例えばサブボディとか、そういったものは要らないと感じるようになった。

現在手元にあるのは、ソニーのα33、タムロンの超広角ズームと高倍率ズーム、望遠ズームの三本だけ。
この内、どうも高倍率ズームだけがハズレで使えないので、これはそのうちには換えるかも知れない。
それとパナの超高倍率ズームコンパクトのFZ-150がある。
これはビデオカム代わりにも使える。

目的に応じて使い分けるが、何も持たずに出掛けることも多い。
最近は動画がメインということもあり(ショートムービーを作る)スマホで撮影するからだ。
外部マイクとグリップをつけ、撮影後にブレ補正をアプリで行う。
これだけで十分、鑑賞に値する画像になる。
すごい時代になったものだ。

一眼では、もっぱら小諸市を撮っている。
縁ある土地を撮影して回って、これで私のフォトワークの一応の区切りとするつもりだ。
数年がかりのプロジェクトになる。
それまでへこたれないなら、カメラは何でも十分だ。

カメラ遍歴も、どうやら今少しで終わりそうだ。
十代の頃から、様々に理由をつけてはカメラを買い換えてきた。
それももうすぐ終わる。

寂しくもあり、安堵もありで、複雑な思いはある。
後悔はしていない。
ようやく到達点が見えたというか…航海はもう、終わりだ。

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