桜求道
ひょんな事で負傷して、春の撮影に出遅れている。
…悔しい。
以前はそれほどでも無かったのに、最近は撮影が出来ないことが悔しい。
仕事を放り出してでも、撮影に行きたいと言う衝動にかられるが、幸いそこまでの暴挙には出てはいない。
桜は一期一会だと、最近はより強く思う。
実感を伴って、そう思う。
年によって咲き具合が変わる。
色も密度も変わる。
晴天が続くかどうか、雨風が吹かないかでも違う。
たった数日で、ベストに出会えないのだ。
悔しくもなると言うものだ。
一年の内で、たった数日。
残りのほぼ360日が無為に帰す。
以前はもっと、いい加減だった。
いや、いい加減で済んでいた。
ここがダメでもあそこがあるさ、とか、そういう「なめた考え」で撮っていた。
今は違う。
人生の時間が少なくなってきたこと、桜そのものは同じでも、天候や時間で風景は万化すること。
その場にいないと撮れない写真と言うメディアは、撮影者の甘えを絶えず弾劾し続ける。
こちらの都合はお構いなしに、桜は咲き、そして散っていく。
…なんて儚いんだろうか。
今日は雨だ。
一日中降り続くらしい。
もちろん平日であり、仕事もある。
こんな日は特に仕事が馬鹿らしく感じてなら無い。
山の中の湖の畔で、霧に霞み見え隠れを繰り返す、一本の桜を撮っていたい。
それはどんなにか、幽玄な風景だろうか。
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