見出し画像

仕事、について

…仕事って何でしょうか?。
いろいろな捉え方があると思います。
お金を稼ぐ手段、生き甲斐、やりがいを感じるため等々…。

私はこの「仕事をする意義」というのが、実はちょっとよくわからなかったのです。
五十代後半を生きてる男がです。
「えーっ!!」という声が聞こえてきそうですが、それには理由があります。

私は十八才の時、重い病気にかかりました。
三度の入院を経験しています。
…高卒ですぐ就職し、アルバイトなどの就労経験が無かった私ですので、ちょっとガテン系の会社と、その環境には反りが合わなかったのかもしれません。
三度目の退院後に、退職をしました。

それから十年間近くは、まともに仕事が可能な状態ではなく、知り合いの会社で軽作業を行っていました。
その後にもう少し労働時間の長い会社にパートで入り、十年近く働かせてもらいました。

好き嫌いで会社を選んだのではなく、体調にベストな仕事を選んだわけです。
結局ほぼ完治する頃には、三十才を越えていました。

仕事はつまり、私にとっては「手段」でしかありません。
稼ぎと体調のバランスを考慮した結果が、私にとっての仕事でした。

…私のような経験をした人は、ごく少数だと思います。
多数派ではないことは確かです。
なので、先に書いたように、大方の人は驚き、不審がり、内心嗤ったり、嘲ったり、同情したりするのです。

…しかし、そんなことはどうでもいいのです。
これも定めというやつでしょう。
後悔はするに出来ない年齢ですし、どちらかと言えば、あの世の入り口の方が良く見える気がしますしね。

今でも生活が苦しいですし、年齢なりの贅沢とは無縁です。
…ただ「時間を贅沢に使えた」という、変な自負があります。
仕事に邁進することで使っているだろう、人生という有限の時間を、私は仕事以外の事に使うことが出来ました。
闘病すらそうなのです。
そういった意味で、私はセレブかもしれませんね(笑)。

そんなおバカな私ですので、仕事というものに絶対の価値というのを置きません。
仕事は仕事で、それ以外の事に命を費やすことを疑問とはしません。

この年齢になっても、それはブレません。
重い病気にかかったこと、いろいろな生き死にに対峙してきたことで、たぶん死への耐性というものが高いのだと思います。

まだ、人生を楽しんでいたい。
それに、知らないことをもっと知っておきたい。
燕が、あの小さな体で大海を毎年越えてくるように、出来る限り我武者羅に足掻ければ良いと思います。

これから、です。
まだまだ私は満ちていない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?