初恋忌
明日24日は「村下孝蔵さん」の命日です。
異常気象のせいか、昨今の梅雨は遅くて短い傾向があり、小雨かと思えば炎熱で、その後に集中豪雨という状況になりがちです。
村下さんの「初恋」で歌われていた情景のように、しとしとと霧のごとく降りしきる雨が続いていた事を、今の若い人はきっと知らない。
五月雨と書いて「さみだれ」と読ませるのはなぜだろうかと思っていて調べたら、どうやら古代の稲作文化と関わりがあるようです。
稲の苗の事を「早苗」と呼びますし、田植えをする若い女性の事を「早乙女」と呼びます。
数字の五を「さ」とは通常は読まないらしく、故に「さみだれ」は「早水垂」なのかも知れませんが、梅雨の時期の事もあって「五月雨」と読ませるようになったらしいです。
また「早」は比較ではなくて、初めての、というような意味合いとして使われていたようです。
村下さんがこれを知っていて「初恋」を書いたのだとしたら凄いことです。
五月雨は緑色…水の満ちた田に育つ苗の色。
梅雨は名の通りで、梅の実が育つ時期ですが、その梅の実も緑色です。
幾重もの風景が重なりあい、一人の少年の心象を描き出していく。
優れた詞というのは曲と合わさることで、リスナーの中で様々な体験と結びあいながら、身体全体に行き渡っていくようなものなのでしょう。
日本人は本当に共通言語を活用することに長けた民族です。
言葉ひとつで互いが想いを共有出来るということは、日本人には当たり前だけれど実は大変にスーパーでアンビリーバブルな事なのかもしれないのです。
しかしその文化が、今確実に廃れようとしている。
四季が朧になり、候や節気も日常に対応できなくなってしまいました。
何もかも押し流すような雨は、生活の苦しみを忘れよとばかりに降り続き、その後の炎天は、考えるのを止めよとばかりに脳を焦がします。
これからの日本に、初恋の歌の世界は存在できるのでしょうか?。
出来ることなら、村下さんの生歌を聴きたかったなと思うのは、あまりに時代が変わる速度が速すぎるからのようにも思います。
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