なぜ看護師不足になるのか?

「日本の病床は人口あたり世界一なのになぜ医療崩壊するのか?」とヒステリックに叫ぶ論者を多数見かけるが、この主張ははっきり言って的外れである。こういう言説を垂れ流す時点で勉強が足りてないか、意図的な印象操作をしたいかのどちらかでしかない。

まず第一に日本の病床数が多い最大の理由は、世界一精神科病床が多いことにあることは長年指摘されてきた。つまり統合失調症や知的障害、認知症患者が社会の中で受け入れられず、社会的要請により病院に閉じ込められているのである。実際にコロナで巨大クラスターを形成した病院には精神科病院が多く、報道でその病床数が地域の中核病院に匹敵するぐらいの数だと知って驚いた人も多かっただろう。

さらに昨今は多少改善されつつあるが、日本の急性期病院は患者が安心して退院できる状態になるまで手厚く入院させてくれることが多く、急性期病床といっても、実際にはリハビリなども含めた回復期的な役割も担っているところが多い。海外では手術後にまだ痛みが結構残っていても、入院の必要はないと無理やり退院させられるという話は有名だ。在宅介護体制が整うまで入院させてもらって当然、と考えている日本人からは想像もできない話だろう。回転が悪く在院日数が長いのだから、仮に同じ内容の医療をしていても病床数はその分多くなって当然である。

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よく上記のようなグラフを出して、「急性期も世界一多いのに」と論じる人がいるが、彼らは病院の実態を何もわかっていない。最近の若い世代で目につくのだが、データはその中身の質が重要であって、表面上の統計データだけを見て全てが分かったような気になるのはやめたほうがいい。ミクロな目とマクロな目を両方駆使して初めて世界は正しく認識できる。話は逸れたが、上記のような事情もあって質的な面も考慮した「真の急性期病床数」というのは世界的に見て決して多いわけではないという実情がある。特に重症を担当するICU病床は少なく(白)、

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準ICUであるハイケアユニット(HCU)とICUを合わせても(黄)、米国やドイツなどと比べると圧倒的に集中治療室の数が少ない。HCUとICUの違いはマンパワーの配置の差で、HCUはICUに比べて看護師の人員配置が半分となる。一般的にHCUやICUを使用する患者は高齢者が多い(ICUの主な使用目的は術直後と重症の患者で、いずれも高齢者がそういう状況に陥りやすい)日本の高齢化率が28%、イタリア24%、フランス20%ということを考えると、単純にICU+HCU数だけで考えても、先進国の中で集中治療を必要とする人あたりの、日本の集中治療室の病床数はやや少なめであることがわかる。

さらに、他国がどのような基準で看護師を配置しているかはよくわからないが、ICUおよびHCUに関わっている看護師数に関しては、日本では患者4人に看護師1人の配置であるHCUの比率が高いことも考えると、決して他の先進国と比べて看護師数が多いというわけではないだろう。

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全体像として考えても、人口あたりの看護師数は諸外国と比べて多いわけではない。ただでさえ多い病床数に対して、少ない看護師で何とか回しているところに症状の重い患者が押し寄せれば、すぐに崩壊してしまうことぐらいは誰が考えてもわかる。問題は病床数ではなくてマンパワーである。長年続いた少子化の影響もあって高齢者に対してケアを行う医療介護従事者が圧倒的に足りていないことはこのnoteでも何度も取り上げてきたことだ。

なお、上記の記事は集中治療に対してミクロもマクロも理解している人が書いており、日本の超急性期の医療体制を理解するのによいと思われる。安易に「病床数は世界一なのに」などと口走る人はこの記事を読んでから発言してもらいたい。

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さらにここではもっとミクロに踏み込んで、なぜコロナ病床が増えないのかを突っ込んで考えてみたい。上記で指摘したように病床が増えない理由の大きな因子としてマンパワー、つまり看護師不足の問題がある。

日本の看護師の多くが女性であり、母親として、また家事や介護において中心的な役割を果たしている。つまり、看護師としての役割に全てを投入することは難しく、家庭でも代替不可能な立場にあるため、職場でコロナに感染してしまうと、自らの命の危険があるだけでなく、家庭をも崩壊させかねない状況にある人が多いのである。したがって、多くのコロナ受け入れ病院では、特にエアロゾルが発生しやすい重症病床に入る看護師は、独身者や子育てが一段落した看護師がその役目を担っていることが多い。

さらに看護師の裾野は広く、診療所や訪問看護などでも働くことができるため、病院が本人の意向を無視して強制的にコロナ病棟担当に割り当ててしまうと、辞めて別の職場に就職してしまう可能性もある。看護師が一人辞めれば残った看護師に負担が集中し、辞職のドミノ倒しが生じかねないことは容易に予想される。このような事情があるので、病院としても子育て中や高齢者と同居している看護師を無理やりコロナ担当に回すことは難しいのである。

かといって一人暮らしの独身者ばかりをコロナ病棟にまわしてしまうと、一般病棟で子供の発熱などで急に出勤できなくなった看護師をすぐにカバーできる応援の看護師を確保することができなくなる。また、スキルの高い看護師ばかりがICUに行けば、一般病棟の急変時に支障が生じる。物事はそんなに単純ではない。おのずとコロナ病棟に回せる人員には限界がある。

もちろん、ワクチン接種によって上記のような制約は徐々に解消されていくことになるだろう。しかし、自身は重症化しなくてもワクチンをまだ打っていない家族にウイルスを持ち込むことを恐れて、コロナ担当になることをためらう看護師も少なくないと思われる。

そこで私は提案したい。高齢者のワクチン接種の前に、コロナ受け入れをしている急性期病院の看護師の同居家族のワクチン接種を最優先すべきだと。家族全員が免疫を持っている状況であれば、安心してコロナ診療に手を挙げることができるだろう。むしろ家族に早くワクチンを打たせたいからと、率先して急性期病院に就職しようとする看護師も出てくるかもしれない(もっとも看護師の中でもワクチンに対する不安はそれなりに強いのだが・・・)。もちろん看護師の待遇改善も同時に進めていく必要はあるだろう。だが、最大の問題はお金ではなく、家族にうつすのではないかとか、家族に風評被害が及ばないかという「不安」である。また、この記事では取り上げないが、重症患者のケアや感染対策に関するスキル不足に対しての「不安」に対する配慮も必要だ。

もともと相対的に少ない看護師数ではあるが、現時点ではコロナ対応している看護師の数はその中でも更に少ない。それにはちゃんと了解可能な合理的な理由があるのであって、当事者からの聞き取りなどでその理由を深堀りしていくことが何よりも重要である。単に「病床を確保しろ」と無責任な評論や批判をするぐらいなら、このぐらいミクロな面まで想像して踏み込んだ提案をしてもらいたいが、こういう話が専門家や政治家から出てこないのが非常に残念に思う。

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