「多様性」の限界

多様性が重視され実践されていく中で,一部の小規模なコミュニティであれば真にフラットで多様な世界というのは実現できることもあるが,老若男女貧富様々な人が各々の興味に従って生きるリアルワールドにおいて,すべてが「ありのままで」「フラットな」世界というのは全くもって現実味がなく持続可能ではないということをこの頃感じる.

多様性は大事だが,やはり参照すべきスタンダードは必要である
そしてそのスタンダードは自然界の摂理や法則性に基づくべきだ
大事なことは例外をちゃんと許容すること,そして全てが平等という頭でっかちで自然界ではあり得ない妄想的概念を信奉しないこと
必要に応じてありのままではない仮面をかぶるテクニックも身につけること

多分こういうことを守っていけば,持続可能で多くの人が生きやすい社会が作っていけるのだろう.昨今のポリコレ棒を振り回しているリベラルの連中に最も私がアナロジーを感じるのは旧態依然の家父長制と身分制を肯定する差別的な社会である.2010年頃まで理想とされたオールドリベラルこそが,真の人間社会の目指す社会であり,レフトリベラルはヒトラー並の破壊と分断と醜態をもたらすことになるだろう.

ニュー・リベラルこそが21世紀のヒトラーである

そう予言しておきたい.



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?