古典ギリシャ語動詞変化まとめ 6 ἄρχω

約50語の動詞を通じて古典ギリシャ語の動詞の変化の基本的な規則やパターンを身につけることを目指すシリーズです。

ἄρχω 支配する (動詞幹 ἀρχ-)

現在幹 ἀρχ‧ε/ο-

能動態現在 ἄρχ‧ω, ἄρχ‧εις, ἄρχ‧ει, ἄρχ‧ο‧μεν, ἄρχ‧ε‧τε, ἄρχ‧ουσι(ν) / ἄρχ‧ειν
能動態未完了過去 ρχ‧ο‧ν, ρχ‧ε‧ς, ρχ‧ε(ν), ρχ‧ο‧μεν, ρχ‧ε‧τε, ρχ‧ο‧ν ※時量的加音

未来幹 ἀρξ‧ε/ο- (< ἀρχ‧σε/ο-)

能動態未来 ἄρξ‧ω, ἄρξ‧εις, ἄρξ‧ει, ἄρξ‧ο‧μεν, ἄρξ‧ε‧τε, ἄρξ‧ουσι(ν) / ἄρξ‧ειν

第1アオリスト幹 ἀρξ‧α- (< ἀρχ‧σα-)

能動態第1アオリスト ρξ‧α, ρξ‧α‧ς, ρξ‧ε(ν), ρξ‧α‧μεν, ρξ‧α‧τε, ρξ‧α‧ν ※時量的加音 / ἄρξ‧αι

第2完了幹 ἠρχ‧α- ※畳音=加音

能動態第2完了 ρχ‧α, ρχ‧α‧ς, ρχ‧ε(ν), ρχ‧α‧μεν, ρχ‧α‧τε, ρχ‧ᾱσι(ν) / ἠρχ‧έ‧ναι

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これまで3回にわたって、動詞幹が両唇閉鎖音 π /p/, β /b/, φ /pʰ/ で終わる動詞を扱ってきました。今回からは、動詞幹が軟口蓋閉鎖音 κ /k/, γ /g/, χ /kʰ/ で終わる動詞です。

両唇閉鎖音の後に σ /s/ が来ると、π, β, φ はすべて無声無気音の /p/ になったのと全く同じように、軟口蓋閉鎖音の後に σ /s/ が来ると、κ, γ, χ はすべて無声無気音の /k/ になります。/ks/ なので κσ と書きそうなものですが、ギリシャ語で /ks/ は ξ と書くことになっているので ξ になります(水谷 §§34.1, 38.1、堀川 pp. 132, 145、チエシュコ p. 169)。

これで、能動態未来の ἄρξω などは、特に暗記するというほどのこともなく、自然に納得できるでしょう。

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今回もう一つ初めて出てくるのが、母音で始まる動詞における加音と畳音です。

母音で始まる動詞は、未完了過去とアオリストの直説法の活用形につく加音と、完了幹につく畳音が、子音で始まる動詞とは違っています。

まず加音ですが、これまでに出てきたのは ἐ- がつくという「音節的加音」でした。しかし動詞が母音で始まる場合、その母音が長くなります(水谷 §34.2、堀川 p. 139、チエシュコ p. 148)。これを「時量的加音」といいます。

α を長くするともちろん ᾱ になるのですが、アッティカ方言では、(ε, ι, ρ の直後を除く)ᾱ は η になってしまったので、ἀ- で始まる動詞は時量的加音によって ἠ- になります。

つぎに完了幹で使う畳音ですが、母音で始まる動詞の場合、これも加音と同じになります。そのため、ἀ- で始まる動詞はやはり ἠ- になります(水谷 §160.2(c)、堀川 pp. 211-212、チエシュコ p. 151)。

初回で述べたように、アオリスト不定詞 ἄρξαι には加音がつかないのに対して、完了不定詞 ἠρχέναι には畳音がつくことに注意しましょう。

なお、古典ギリシャの人々や古典ギリシャ語を教える先生たちは /h/ のことを子音だと思っていないようで、例えば ἁ- /ha/ で始まる動詞は「母音で始まる」動詞に含まれます。「母音で始まる」とでも説明したほうが親切そうなものですが、ともかく ἁμαρτάνω など /h/ で始まる動詞にも今回の規則があてはまることを覚えておきましょう。

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今回学ぶのはこの2点だけですが、初回で出てきた

[規則D] 語末から2音節目の母音が長くそこにアクセントがつく場合、語末の音節の母音が短いならば、その(語末から2音節目の)アクセントは必ずアクセントである。(堀川 p. 54、チエシュコ p.26)

というアクセントの規則が大活躍しているので、改めて確認しておきましょう。

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なお、教科書によっては、ἄρχω の能動態完了時制が空欄になっている場合があります。どうやら古典期のアッティカ方言に用例がないということのようです。今回は文法上の規則を学ぶために取り上げてしまいましたが、作文などをする際のために覚えておくといいのかもしれません。

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動詞幹・時制幹と主要部分

動詞幹 ἀρχ-
チエシュコ タイプ6(p. 168)
1. ἄρχ‧ω 能動態現在 1人称単数
(現在幹 ἀρχ‧ε/ο-)
2. ἄρξ‧ω 能動態未来 1人称単数
(未来幹 ἀρξ‧ε/ο-)
3. ἦρξ‧α 能動態第1アオリスト 1人称単数
(第1アオリスト幹 ἀρξ‧α-)
4. ἦρχ‧α 能動態第2完了 1人称単数
(第2完了幹 ἠρχ‧α-)
5. ἦργ‧μαι 中動態完了 1人称単数
(完了中受動幹 ἠρχ-)
6. ἤρχ‧θη‧ν 受動態第1アオリスト 1人称単数
(第1アオリスト受動幹 ἀρχ‧θη-)

変化形一覧

能動態現在 ἄρχω, ἄρχεις, ἄρχει, ἄρχομεν, ἄρχετε, ἄρχουσι(ν) / ἄρχειν
能動態未完了過去 ρχον, ρχες, ρχε(ν), ρχομεν, ρχετε, ρχον
能動態未来 ἄρξω, ἄρξεις, ἄρξει, ἄρξομεν, ἄρξετε, ἄρξουσι(ν) / ἄρξειν
能動態第1アオリスト ρξα, ρξας, ρξε(ν), ρξαμεν, ρξατε, ρξαν / ἄρξαι
能動態第2完了ἦρχα, ρχας, ρχε(ν), ρχαμεν, ρχατε, ρχᾱσι(ν) / ἠρχέναι

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発音について、重要でないコメントをしておきます。

ぼくは帯気音と無気音を区別して頭に入れるのが困難なので、自分で発音するときは φ, θ, χ は摩擦音の [f, θ, x] で発音することにしています。(ἀρετή と ἀλήθεια を混同していることに気づいたのをきっかけに、見栄をはらずに自分が自然に区別できる発音をしようと思うようになりました。)

欧米で一般にエラスムス式発音(Erasmian Pronunciation)と呼ばれる方式では、これに似た発音をしていることがあるようです。Polis Institute の教科書も似たような方針を取っています(ただし χ は [ħ] と説明しています)。

φ [f] と θ [θ] については、現代ギリシャ語でも使われている発音なので、比較的正当化しやすいでしょう。また例えば Σοφοκλῆς を「ソフォクレス」と書く表記もよく見られます。

χ は、現代ギリシャ語に従うなら、/i/ や /e/ の前では [x] ではなく [ç] と発音すべきということになります。しかし、「ヒ」を [çi] と発音する日本語話者であるぼくにとって、ἱ [hi] と χι [çi] を区別するのはこれまたちょっと難しいので、χι や χε も [k] と同じ調音位置で [xi, xe] のように発音することにしています。これはおそらく歴史上存在したことのない不自然な発音なのですが、学習のための方便として割り切っています。(そもそも παύειν などの「偽の二重母音」-ει- を [eː] ではなく[ei] と発音している時点で、それは歴史的に正しい発音ではないはずですし。)

こういうのは自分の中で考えてひそかに実践するだけで公開するつもりもなかったのですが、自分の発音の録音を公開している(聞いている方がいらっしゃるのか分かりませんが)こともあり、ここに記しておきました。

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