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【交換小説】#遮断 2

その時、一人の先生のことが頭に浮かびました。二階堂先生というその国語の先生は、進学校として全国にその名を轟かせる我が高校の中でも名物教師と言える人で、体制への順応を嫌うアウトロー、現在社会のあらゆる分野で活躍している名だたる教え子たちもその型破りな教えの影響を口にして止まないほどの存在でした。

当時はインターネットもようやく普及し始めたばかり、携帯電話など高校生が持つものではありませんでしたから、本を読むことのステイタスが未だ健在で、特に私の高校に来るような偏差値の高い生徒たちは競い合うように難解な本を読んでいたものです。高校一年の夏休み明けの読書感想文も、周りが提出するのはロシア文学だのドイツ観念論だの、私には想像もつかないようなものについての分厚いレポートばかりでした。原稿用紙五枚以上という要件しか見ておらず、改行やら…やらを駆使して何とか五枚目の一行目に乗せて安心していた私は、周りとの落差にひるみました。しかし何も出さないわけにもいかないので、そのまま提出しました。絶対に怒られる。ことによると、レベルの差を問題視され退学を促されるかもしれないとさえ思いました。

提出後初の授業で教室に入ってきた二階堂先生は、明らかに苛立っていました。周囲の生徒たちもその空気を察し静まり返ります。きっと私のせいだ。いたたまれず、私は顔を伏せました。先生はムッとしたまま、ホチキス止めのプリントを配りました。
「お前ら、これを読め」
私は縮こまったまま前の生徒からプリントを受け取りました。その時、私の心臓は止まりそうになりました。そこに印刷されているのは汚い字で「夏目そう石の『こころ』を読んで」と書かれている、私の読書感想文だったからです。
「お前ら、何か勘違いしてるだろ」とその時、先生は言いました。「俺はお前らに何かを教えてもらいたいわけじゃない。知識をひけらかしたいのかもしれんが、難しいことを知ってるからって偉くも何ともないんだぞ!」
先生はプリントを掴むと、私たちのほうへ突き出して言いました。
「俺がずっと読みたかったのは、これなんだよ!」
一瞬、状況が飲み込めませんでした。しかし徐々に味わったことのない嬉しさがこみ上げてきました。数々の優秀な生徒たちを世に送り出してきた先生が、定年間際にして初めて求めていた感想文を読んだと、私の作文をほめている。実際のところ、夏休みは家でゲームしかしておらず、作文も中学の時に書いたやつを提出日前日に水増しして丸写ししただけだったのですが、そんなことはどうでもいい。とにかく私は認められたのです。これが私にとって唯一の、高校時代の輝かしい瞬間でした。

二階堂先生なら私の決意を理解してくれるかもしれない。どこから何を始めればいいかも分からない私に何かヒントを与えてくれるかもしれない。私はそう思いました。

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