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その後、運ばれた病院で検査してもらったところ、もともと内臓で炎症を起こしていた上、熱中症で脱水も進み、極めて危ない状態にあったことが分かった。あのトマトがなければ、本当に死んでいてもおかしくなかったわけである。とりあえず良かった、と連絡した家族たちは口々に言ったが、あのトマトがいつ、どこから湧いてきたのかは謎のままで、結局それも祖父の野性の為せる業だったとしか私には説明が付かない。

翌日に私は帰ることになっていた。しばらくはこちらに来る予定もないので、入院の荷物を届けるついでに顔を見てから帰ろうと思った。もしかするともう会う機会はないかもしれないし、生前最後の印象がダリ、というのも気持ちが悪い。とにもかくにも祖父と孫という長年の関係性の締めくくりとして、落ち着いた状態できちんと別れを告げたいと思った。

病室の祖父は清潔なベッドに横たわっていた。無精髭も剃られ、見違えるようにこざっぱりしている。野犬の意地から自らの縄張りで暮らすことに固執してはいたものの、一番きれいな部屋の布団で寝ていたということは、人の手による快適さへの未練もやはり少しはあったのだろう。そんなことを自分から言い出すことは絶対にできなかったと思われるだけに、経緯はともあれ、こうして人並みの環境にあるところを見られて私は少し安心した。

「じいちゃん。私もう帰るき」

私が言うと、祖父はゆっくりと眼を開き、こちらを見た。

「良かった、落ち着いたみたいで。それにしても――」私は例のトマトがどこから来たのかを最後に尋ねようと思っていた。考えようにも考えようがないその謎だけがずっと引っ掛かっていたからである。だがこちらに向けられた祖父の眼は、私が誰か分かっていないということを明らかに物語っていた。続きの言葉は飲み込むしかなかった。すると祖父が言った。

「俺ぁ小便行く」

祖父はむくりと半身を起こし、布団を蹴り飛ばした。病衣がはだけ、露になった脚は数日動かなかったせいで見るからに筋力が落ち、骨ばかりになっている。おむつ、点滴もつけたままだ。とても歩いて動ける状態ではない。

「いや小便は、看護師さんに言わんと」
「俺ぁ小便行く」

祖父は無理やり立ち上がろうとした。慌ててナースコールを押すとすぐに看護師さんがやって来た。「歩いていくのはまだ無理」「今日はおむつでいいとよ」と再三なだめられても「俺ぁ小便行く」の一点張りだ。この場でできることは何もない。そう思った私はそっと病室を去った。

続く

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