人はどうすれば許されるのか

タイトルの通りだが、犯した罪/過ちについて、どうすれば許されるのかということを考えることがある。

例えば、犯罪を犯せば刑罰が科される。だがこれは、罰金を支払えば、服役を終えれば、犯した罪が許されるということではないはずだ。
正当防衛で人を殺した場合、無罪になる。ではそれが殺人という行為に対する許しなのかというと、やはりそれは違うような気がする。

当たり前だが、犯罪についていえば、司法レベルでの判断と道徳レベルでの許しというのは別の話だ(そもそも法と道徳は別のものではある)。

より卑近な例で話をしよう。
貴方が浮気をしたとする。パートナーが「今回は水に流す」と言ったら、それで浮気が許されるのか。
更に言えば、自分自身の中の罪の意識は無くなるのだろうか(そもそも浮気なんかするなという話だが。)。

許されようとすること自体が我儘だと言えば、その通りなのかもしれない。

許す側のことも考えてみよう。

例えば、貴方の恋人に犯罪歴があったとする。あるいは、パパ活をしていたとする。
今はその人が品行方正で、人格的に素晴らしい人間だとして、貴方はその人の過去を"許せる"だろうか。(何様だよという話だが)僕にはできそうにない。

たった一度の過ちだとしても、過ちを犯したという事実は決して消えることはない。それはいくら贖ったとしても、一生ついて回る。

その一線を踏み越えるかどうかというのはあまりにも大きな違いだ。だからこそ、一挙手一投足に注意して生きる必要がある。

でも、無理だよなそんなの。

それでは。

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