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2014年9月の記事一覧
『みことばは命 1st season (025)』
(創世記13:1~9【信仰の差】)
○罪をことごとく悔い改めて礼拝を奉げることで、罪による壁はこわされ神様との関係は回復されます。
○霊に触れてくださる体験を忘れてはなりません。触れてくださらないと思う時は傲慢であると知りましょう。
○イエス様を信じ愛する者に、神様は全てのことを働かせて益としてくださいます。それは今はわからなくても後で必ず分ります。
○私たちがすることは『謙遜な心
『みことばは命 1st season (024)』
(創世記12:10~20【アブラハムの過ち】)
○神様の命令に従ってもすべて順調にいくわけではありません。しかしそれは『神様の訓練』であります。
○信仰は簡単ではありません。いくつものテストをクリアしてこそ信仰は与えられるのです。
○自分一人の力では信仰を守ることは出来ません。神様によらずして信仰は保つことは出来ません。
○毎日神様は私たちの生活に介入してくださり、守ってくださってい
『みことばは命 1st season (023)』
(創世記12:1~9【アブラハムの新しい生き様】)
○みことばは、従うために聴くものです。
○「神のみことばを伝え、伝えられた相手が救われる。」これ以上の祝福はありません。これが『祝福の管』となることです。
○神様が「せよ」ということをしましょう。冒険をしましょう。そうしたら神様を体験することができます。神様が生きていることを知ることができます。
『みことばは命 1st season (022)』
(創世記11:1~9【バベルの塔を建てる】)
○神様を忘れ、人間同士だけで生きようとするのは、神様への裏切りです。
○私たちが本当に一つになるのは『神様の霊、イエス様の霊、聖霊様』によってです。そこには謙遜があります。
○神様の前に自分を置くことができる者は謙遜になれます。謙遜になる時、人は幸せになれるのです。
『みことばは命 1st season (021)』
(創世記9:18~29【ノアのあやまち】)
○自分の心は自分が守らなければなりません。イエス様が嫌がられる心を持たないよう心の状態に神経を使いましょう。
○血を流すほど叫ぶ「悔い改め」でなければ、心の状態は保てません。
○たった一つの失敗で、その人の全体の評価としてはいけません。しかし全体の評価が出来るのは神様だけです。
『みことばは命 1st season (020)』
(創世記9:8~17【神様の約束】)
○自然の法則は絶対ではありません。神様の意志によって変わります。
○私たちが生きているのは、『神様の恩寵、恵み、愛』によってです。自力で生きようとするのは傲慢です。
○神様はどんな状況でも神様を頼るなら、霊肉の呪いから離れさせ、祝福を与え、味わわせてくださいます。
『みことばは命 1st season (019)』
(創世記9:1~7【不完全な始まり】)
○「これが傲慢になるのか?」こう思うことは間違いです。
○みことばで砕かれることが幸いです。
○自分の嫌な所、汚れた所、そのすべてを受け入れた時、自分を赦すことができます。『赦された感激』を知ることができます。
○私たちはイエス様の血潮によって完全に新しい被造物となりました。残っているのは古い自分の痕跡だけです。
『みことばは命 1st season (018)』
(創世記8:15~22【ノアの全焼のいけにえ】)
○自分のことよりも、神様のみこころを第一に考え、神様の喜ぶことをまずしましょう。
○罪を告白しましょう。神様の前に告白しましょう。心を裂いて告白しましょう。神様は受け取り憐れんでくださいます。
○どんなに外面を綺麗に装っても、内面の醜さは人を汚します。他人を見る前に自分の内側を見ましょう。
○あなたが癒されないのは、傲慢で本当の罪とそ
『みことばは命 1st season (017)』
(創世記8:1~14【新しく始めよ】)
○私の忍耐がどうにもならなくなり、限界が来たときに神様は働いて下さいます。神様は私の苦しみを全てご存知です。
○再創造によって私の個性、技術、意志は神様に聖められ、ことごとく新しくされます。
『みことばは命 1st season (016)』
(創世記7:6~24【大洪水の事件】)
○神様を疑った時、神様は恵みを下さり、疑いを取り除いて下さいます。信仰生活の維持は神様の恵みによるのです。
○私たちがすることは「継続して『新しい恵み』を求める心を持ち続ける」ことです。
○「神様の沈黙の期間」を悟りましょう。神様が沈黙なさっている時に、人の本性が現れます。しかし、それでもみことばに従う時、私たちは癒され、成長させられるのです。
『みことばは命 1st season (015)』
(創世記7:1~5【箱舟の中の生活】)
○神様と触れた時、私たちは失われた尊さを取り戻すことが出来ます。
○「神様から与えられた心」をもってするならば、それは聖い行いです。「自分の考え、欲、情欲」をもってするならば、それは汚れた行いです。
○神様なしで、私たちは正しくあることはできません。
『みことばは命 1st season (014)』
(創世記6:13~22【ノアの箱舟】)
○教会の舵取りは神様がしてくださいます。牧師は舵取りではなく従うだけの存在です。牧師が舵取りをすると信徒と共倒れになるおそれがあります。
○クリスチャンの言葉、行いを通して人々がイエス様を知るようになります。クリスチャンが「祝福の管」であるというのはそういうことです。
○この世には、儀式、音楽、信仰がある『教会』という世界と、罪と災難がある『教会
『みことばは命 1st season (013)』
(創世記6:8~13【罪を憎む神様】)
○罪を重ねると、罪を罪と思わなくなります。罪に対する無感覚は、滅びに至る病です。
○神様は、聖書、人(牧師)を通して罪を指摘します。傲慢な者は、この指摘を受け取ることができません。罪を悟らせてくれるのは神様の恵みです。
○心の一番大きな罪は「憎しみ」です。知性の一番大きな罪は「不誠実」です。霊の一番大きな罪は「恐れ」です。
○聖霊様に満たされた
『みことばは命 1st season (012)』
(創世記6:1~8【滅亡の象徴】)
○クリスチャンが罪に心痛め、祈って何とか世を変えようと思い神様の御前に出る時、神様は世の罪を見ません。
○クリスチャン、教会が腐敗して堕落したら、クリスチャンたちだけが滅びるのではなく人類が滅びます。
○クリスチャンが神様に礼拝を捧げる事を粗末にしてはいけません。礼拝が霊の命を維持するのです。